「神社」という名称が一般的になったのは実は案外新しくて明治初期の頃でした。
それ以前は「やしろ(社)」とか「みや(宮)」とか言っていたのです。
ちなみに記紀では「神社」=かみやしろ、「神宮」=かみのみやというように
表現しておりましたが、一般的ではありませんでした。
もう少し詳しく申しますと、
「やしろ」とは神社の原型をあらわすことばが「屋代」で、
これは神社の建物のことではなく「社を建てるための区域」のことです。
「屋」とは神を迎えるための小屋、あるいは祭壇です。
神を迎えて祀る「祭壇」をつくるというのは、現在でも、
例えば建造物の地鎮祭や竣工式の際には簡素な祭壇を設けていますよね。
家を建てるときには必ずと言って行います。
さらに、その以前はどうだったかというと、
その昔は「磐座」(いわくら)、「磐境」(いわさか)という、「岩や石を積み並べて作られた斎場」
また、「神籬」(ひもろぎといって「聖域に樹木や枝を立てて祭壇としたもの」など、
これらは神社の原型に位置づけられています。
祀りが頻繁に行われるようになると、祭壇が常設されるようになり、
そのために屋根が必要になりました。
これを「みや」といい「御屋」と書きます。
そして「宮」になっていくのです。
このようにして、神社、お社が聖地になっていくのは、
「神が鎮座し、鎮まるところ、神の降神するところ」であり、
「神は人間の穢れを浄化し、お社は幸福を授けるところである」
と信じられるようになりました。
また、杜はまさに「森」、。これは木々には聖霊が辿り、聖域とされました。
そして神聖が場所と考えられていた故に、樹木の伐採等も許されず、
結果、樹木が繁森をしてまさに「森」のようになったと言われるようになりました。
新幹線に乗って窓から外を眺めていたり、三重県など神社の多い地域にいくと、
小さな森のような木々が集まっている景色をところどころに見つけます。
まさに、これが杜(もり)なんですね。
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