八俣の大蛇

いよいよ、今回はヤマタノオロチが登場します。

「古事記」の中でも、「日本のむかしばなし」として、「いなばのしろうさぎ」と共に、幼いころにほとんどのひとが聞かされたと思う、最も有名な話だと思っています。


(現代語訳)

そこで、スサノオはすぐに、その少女を神聖な櫛に変身させ、御角髪にさし、アシナヅチとテナヅチに「おまえたちは何回も醸造した強い酒を造り、垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに桟敷を作り、桟敷ごとに酒を入れる樽を置き、樽ごとに何回も醸造した強い酒を一杯にして待っておれ」と命じた。


そこで命じられたままに、準備して待っていると、ヤマタノオロチが老人の言うとおりやって来た。すぐにヤマタノオロチは樽ごとに自分の頭を入れ、その酒を飲んだ。そして酔っぱらって、そのまま横になって寝てしまった。


そこで、スサノオは十握の剣を抜き、ズタズタに切ると斐伊川の水は血となって流れた。そして中の尾を切ったとき、十握の剣の刃が欠けた。スサノオは不審に思われ、剣先で尾を切り裂いてみると立派な太刀があった。

そこでスサノオはその太刀を取り、不思議なことだと思い、アマテラスに献上した。これが草薙の太刀である。



※高天原では荒神ぶりを発揮していたスサノオさまですから、そのパワーはやはり桁違いなのでしょうか。

というよりも、ここでは、ヤマタノオロチに酒を飲ませていますね。これは英知の極みです。スサノオさまは高天原の神さまなので、葦原中つ国のレベルでは英知も際立っているのでしょうか?

そして、ヤマタノオロチの尻尾から「草薙の太刀」がみつかります。そしてこれを姉神のアマテラスさまに献上されます。とても律儀な振る舞いです。これはお詫びの記しなのでしょうか??

色々興味がわきますね。この辺りは後日解説させていたします。

(現代語訳)

こうして、スサノオは宮殿を造る場所を出雲の国に探した。そして須賀の地に来て「私はここに来て、気持ちがすがすがしい」と言った。そして、そこに宮殿を造った。それで今,そこを須賀という。

スサノオが初めて須賀の宮を作ったとき、そこから雲が立ちのぼった。そこで歌をお作りになった。その歌は、


八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

(多くの雲が立ちのぼっている その雲の幾重にもなった垣根が 妻を籠もらせるように 幾重もの垣根を作っている その素晴らしい垣根よ)


ここで、スサノオはアシナヅチを呼んで「おまえを私の宮殿の長に任じよう」と仰せになり、名を与えて稲田宮主須賀之八耳神(イナダミヤヌシスガノヤツミミ)と名付けた。



※スサノオさま、またまた、大変貌!

なんとクシナダヒメさまとの愛の新居を造られたのは良いのですが、なんと「お歌」まで詠ってしまわれました。

一体どうしたのでしょう?

こんなに繊細でこころ温かいかただったのですね。

因みに当然のことながら、これは「日本最古の和歌」なのですね...

個人的には大好きなシーンです。八岐大蛇を倒す強いスサノオさまも良いですが、この和歌をお詠みになられるお優しいスサノオさまの方がずっと好きなのです。

(現代語訳)

そこでクシナダヒメと夫婦の交わりをして生んだ神の名は八島士奴美神(ヤシマジヌミ)という。

またオオヤマツの娘の神大市比売(カムオオイチヒメ)を娶って生んだ子は大年神(オオトシ)、つぎに宇迦之御魂神(ウカノミタマ)である。

ヤシマジヌミがオオヤマツの娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って生んだ子は布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌ)である。 このフハノモヂクヌスヌが淤迦美神(オカミ)の娘の日河比売(ヒカワヒメ)を娶って生んだ子は深淵之水夜礼花神(フカフチノミズヤレハナ)である。

このフカフチノミズヤレハナが天之都度閇知泥神(アメノツドヘチヌ)を娶って生んだ子は淤美豆奴神(オミズヌ)である。

このオミズヌが布怒豆怒神(フノヅノ)の娘の布帝耳神(フテミミ)を娶って生んだ子は天之冬衣神(アメノフユキヌ)である。

このアメノフユキヌが刺国大神(サシクニ)の娘の刺国若比売(サシクニワカ)を娶って生んだ子は大国主神である。

大国主神はまたの名を大穴牟遅神(オオナムヂ)といい、またの名は葦原色許男神(アシハラシコヲ)といい、またの名は八千矛神(ヤチホコ)といい、またの名は宇都志国玉神(ウツシクニタマ)といい、併せて五つの名があった。



※こうして古事記の主役の座は、スサノオさまからこんどは大国主命さまへと、変わってまいります。

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