(現代語訳)
その後、先の約束どおりにオオナムヂはヤガミヒメと結婚し、出雲の国に連れてこられたが、正妻のスセリビメをおそれ、その産んだ子を木の俣に刺し挟んで帰ってしまった。そこでその子を名付けて木俣(キノマタ)の神といい、またの名を御井(ミヰ)の神という
※スサノオさまの娘神スセリビメを正妻に迎えれましたが、先に妻になっていたヤガミヒメは遠慮して国に帰ってしまいました。そもそもはこの姫を兄の八十神と争っていた筈ですが、この結末からみても八十神などはどうにも関係ないことが分かります。大事なことはイザナミさま以降途絶えていた国造りの続行継承。そのために、イザナミさまに最もご縁の深いスサノオさまに出会う必要があった訳です。
しかし、その後も「恋多き神」の行動は変わりません。ただ、これは一族の繁栄のためには沢山子供が必要だということをこの時代から考えられています。この考えは特に封建時代になって武士階級に継承されていきます。
(現代語訳)
八千矛神(大国主神)が越国の沼河比売(ヌナカワヒメ)に求婚しようとしてお出かけになったとき、そのヌナカワヒメの家に着いて歌を歌われた。
(古事記元うた)
八千矛の 神の命は
八島国 妻枕きかねて
遠し 高志の国に
賢し女を 有りと聞かして
麗し女を 有るりと聞こして
さ婚ひに あり立たし
婚ひに あり通はせ
大刀が緒も いまだ解かずて
襲をも いまだ解かねば
嬢子の 寝すや板戸を
押そぶらひ 我が立たせれば
引こづらひ 我が立たせれば
青山に {ぬえ}は鳴きぬ
さ野つ鳥 雉はとよむ
庭つ鳥 鶏は鳴く
心痛くも 鳴くなる鳥か
この鳥も 打ち止めこせね
いしたふや 天馳使
事の 語言も 是をば
(※ 歌ー現代語訳)
八千矛の神は
大八島国中探しても妻を娶ることができず
遠い遠い越の国に
賢い女がいると聞いて
麗しい女がいると聞いて
求婚にお出かけになり
求婚にお通いになると
大刀の下げ緒をいまだ解かぬまま
上着もいまだ脱がぬまま
乙女の寝ている家の板戸を
押し揺すぶって
何度も引いてお立ちになっていると
緑の山ではぬえが鳴き
野には雉の声が響く
庭の鳥の鶏は鳴く
いまいましくも鳴く鳥よ
叩いて鳴きやめさせてくれよう
天駆ける使いの者よ
これが事を伝える語り言です
とお歌いになった。しかしヌナカワヒメは、まだ戸を開かずに中からお歌いになって
(古事記元うた)
八千矛の 神の命
ぬえ草の 女にしあれば
我が心 浦渚の鳥ぞ
今こそは 我鳥にあらめ
後は 汝鳥にあらむを
命は な殺せたまひそ
いしたふや 天馳使
事の 語言も 是をば
青山に 日が隠らば
ぬばたまの 夜は出でなむ
朝日の 笑み栄え来て
栲綱の 白き腕
沫雪の 若やる胸を
そだたき たたきまながり
真玉手 玉手さし枕き
百長に 寝は寝さむを
あやに な恋ひ聞こし
八千矛の 神の命
事の 語言も 是をば
(※ 歌ー現代語訳)
八千矛の神
なよなよとした女の身ですので
私の心は入江の洲にいる鳥のようです
今はわがままに振る舞っていますが
後にはあなたのものになるでしょうから
どうぞ鳥たちを殺さないで下さい
天駆ける使いの者よ
これが事を伝える語り言です
緑の山に日が隠れたら
夜にはおいでになってください
朝日のようにはれやかな顔でやって来て
コウゾの綱のように白い腕で
沫雪のように若い胸を
たっぷり愛撫して
玉のように美しい私の手を枕にして
いつまでもおやすみください
あまり恋いこがれなさいますな
八千矛の神
以上が事を伝える語り言です
とお歌いになった。そしてその夜は会わずに、翌日の夜お会いになった。
しかし、八千矛神の大后のスセリビメはたいへん嫉妬深い方であった。そこでその夫の神は困惑して、出雲から大和国にお上りになろうとして、支度をしてお出かけになるときに、片方の手を馬の鞍にかけ、片方の足を午の鐙に踏み入れて、お歌いになって
(古事記元うた)
ぬばたまの 黒く御衣を
まつぶさに 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも これは適さず
辺つ波 そに脱き棄て
そに鳥の 青き御衣を
まつぶさに 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも 此適はず
辺つ波 そに脱き棄て
山県に 蒔きし あたね舂き
染木が汁に 染め衣を
まつぶさに 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも 此し宜し
いとこやの 妹の命
群鳥の 我が群れ往なば
引け鳥の 我が引け往なば
泣かじとは 汝は言ふとも
山処の 一本薄
項傾し 汝が泣かさまく
朝雨の 霧に立たむぞ
若草の 妻の命
事の 語言も 是をば
(※ 歌ー現代語訳)
黒い御衣を
すっかり着飾り
水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
袖を上げ下ろしして見るもどうも似合わぬ
岸辺に寄せた波が引くように後ろに脱ぎ捨て
カワセミに似た青い御衣を
すっかり着飾り
水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
袖を上げ下ろしして見るもどうも似合わぬ
岸辺に寄せた波が引くように後ろに脱ぎ捨て
山の畑に蒔いたあかねを
染め草の汁として染めた衣を
すっかり着飾り
水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
袖を上げ下ろしして見るとこれがよい
いとしい妻よ
群鳥のように皆と一緒に行ったなら
引かれ鳥のように皆に引かれて行ったなら
泣かないとあなたは言うけれども
山辺にある一本のすすきのように
うなだれてあなたは泣くだろう
その吐息は霧となって立つだろう
わが妻よ
以上が事を伝える語り言です
とお歌いになった。
そこでその后は大きな杯をお取りになり、夫の側に立ち寄り、杯を捧げてお歌いになって
(古事記元うた)
八千矛の 神の命や
吾が大国主
汝こそは 男に坐せば
打ち廻る 島の埼埼
かき廻る 磯の埼落ちず
若草の 妻持たせらめ
吾はもよ 女にしあれば
汝を除て 男は無し
汝を除て 夫は無し
綾垣の ふはやが下に
苧衾 柔やが下に
栲衾 さやぐが下に
沫雪の 若やる胸を
栲綱の 白き腕
そだたき たたきまながり
真玉手 玉手さし枕き
百長に 寝をし寝せ
豊御酒 奉らせ
(※ 歌ー現代語訳)
八千矛の神
大国主神よ
あなたは男でいらっしゃるから
巡る島の先々
磯の先にはもれなく
妻を持っていらっしゃることでしょう
私は女ですから
あなたの他に男はいません
あなたの他に夫はいません
綾の帳の ふわふわゆれる下で
絹の布団の 柔らかな下で
コウゾの布団の さやめく下で
沫雪のように若い胸を
コウゾの綱のように白い腕で
たっぷり愛撫して
玉のように美しい私の手を枕にして
いつまでもおやすみください
御酒を お召し上がり下さい
とお歌いになった。このように歌われてすぐに夫婦の固めの杯をお交わしになって、互いに首に手をかけて、今に至るまで鎮座しておられる。これらの歌を神語(カムガタリ)という。
※分かりづらいのでまとめますと、最初は八千矛神(=オオクニヌシさま)が、高志国(=越の国)の沼河比売(ヌナカワヒメ)さまを娶りたくて詠んだうたです。
次の二首が、それに対してヌナカワヒメさまがお返しになったうたです。
そしてこの神語(カムガタリ)によって、おふたりは結ばれます。
このようにして、オオクニヌシさまは国をひろげるために各地の女性と交わり、多くの子どもを授かっていくのです。
しかし、国許では本妻のスセリビメさまが悲しい思いをなさってました。あまりにも寂しそうししていらっしゃるので、大和の国へ行くときにオオクニヌシさまが詠んだうたが「ぬばたまの 黒く御衣を~」です。
それにスセリビメさまが返されたのが「八千矛の 神の命や 吾が大国主~」で、このあと、ふたりは盃を交わし、永遠の愛を誓われました。
古事記には全部で112首のうたが歌われていて、ここでおわかりのように、うたで物語が進行する場面も多々あります。とても高い芸術性だと思います。
古事記はミュージカルだったともいえるのです。
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