本年5月のお伊勢参りから帰ったあと、やたら気になることがありまして関連書籍を読んでおりましたら、偶然出会ったのがこの神社です。
始め「和歌山県」と聞いて勝手に熊野界隈なのかなぁと思いきや、大阪から意外に近いところと分かり、毎年9月に高野山に参りますので、その前日に予定を致しました。お陰さまで9月第2週の炎天下の折り、年に数回では中々乗り慣れない関西の鉄道を駆使して辿り着きました。
所在地 和歌山県和歌山市秋月365
主祭神 日前神宮:日前大神
國懸神宮:國懸大神
神体 日前神宮:日像鏡
國懸神宮:日矛鏡
社格等 式内社(名神大) 紀伊国一宮 旧官幣大社
創建 (伝)神武天皇2年
本殿の様式 入母屋造
実は、古事記ではなく、『日本書紀』の岩戸隠れの段の第一の一書には以下の記述があるのです。
「故即以石凝姥為冶工 採天香山之金以作日矛
又全剝真名鹿之皮以作天羽皮吹 用此奉造之神
是即紀伊國所坐日前神也」
即ち石凝姥を以て冶工(たくみ)として、天香山(あめのかぐやま)の金(かね)を採りて、日矛を作らしむ。又、真名鹿の皮を全剥ぎて、天羽鞴(あめのはぶき(鹿の革で作ったふいご))に作る。此を用て造り奉る神は、是即ち紀伊国に所坐す日前神なり。
そして、社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたされています。
つまり、「天の岩屋戸」で使用されるために鋳造された「八咫鏡」は、最初はあまりできが良くなかったので、もう一度造り直しました。そしてできた見事な鏡が「八咫鏡」として用いられ、この鏡は用いられませんでした。
ごぞんじの通り、 八咫鏡は伊勢神宮皇大神宮(内宮)のご神体です。そして最初の鏡をご神体としているのが、こちらの日前神宮と国懸神宮だと伝えられております。
これを最初に聞いたときは、居ても立っても居られなくなり、まさに直近の大阪周辺行きをずーっと楽しみにしておりました。
大鳥居をくぐるとすぐに手水舎、神楽殿、さらには社務所などがあり、その奥に進むとまさに杜(森)があります。この日は晴天でしたので、木々の緑と青空の色合いがまことに見事でした。
大鳥居をくぐるとすぐに手水舎、神楽殿、さらには社務所などがあり、その奥に進むとまさに杜(森)があります。この日は晴天でしたので、木々の緑と青空の色合いがまことに見事でした。
どことなくお伊勢さまをコンパクトにしたような佇まい。ちょっと奥に入っただけなのに氣が違うことが、わたくしのような凡人にもわかります。暫くいくと立て札があり、
← 日前神宮 国懸神宮→
と掲示がありましたので、日前神宮を先に。
どうやらこの二宮は両極端に位置しているようです。
日前神宮
主祭神 日前大神 (ひのくまのおおかみ)で、日像鏡(ひがたのかがみ)を神体としています。
相殿神 に、思兼命(おもいかねのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が祀られています。
國懸神宮
主祭神 國懸大神 (くにかかすのおおかみ)で、日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体としています。
相殿神 に、玉祖命(たまのやのみこと)、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、鈿女命(うづめのみこと)が祀られています。
日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあるともいわれています。
朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇しました。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかありませんでした。
そのことからもまたこの神宮の場所が、紀伊半島の東端に位置していることから、西端の伊勢神宮とは対をなしているという節もあります。なお、日前大神が天照大御神の別名とされることについては諸説があるのでここでは断定はいたしません。
ところで、最近知ったことなのですが、和歌山市内にある当社と竈山神社、伊太祁曽神社に参詣することを「三社参り」と言うらしいのです。しかもこの三社は、いずれも和歌山電鉄貴志川線の沿線にあることがわかりました。これはきっと再度参拝するということなのでしょうね?
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