初詣にも色々ありまして、好むと好まざると、で、行かねばならない類のもの。それが、会社の初詣でした。
これは、ある意味年間行事のひとつのようなもので、現代はあまりこういう類の企業行事が減っているようですが、筆者は就職して数年でバブルに突入しましたから、こういう行事も矢鱈バブリーだったのを覚えています。
当時は系列企業の関係もあって「赤坂豊川稲荷」が初詣。
これも不思議な縁で、わたくしの先祖は三河の出身で、氏神さまではありませんが、豊川稲荷はそれまでに幾度か本院に参拝しておりますが...
ただ、この稲荷信仰ほど、この国の神仏を考える上で難しいものはないと...
で、やはり、会社の同期の社員に、自分の家の神さまとお稲荷様は因縁があるというかたがいて、なので、わたくしもそれに乗っかって、彼女と一緒に初詣をさぼったりしてました。いまでこそ、偉そうにこんなブログを書いてますが、20代の頃は結構いい加減や奴だったのですねぇ...
稲荷信仰
稲荷信仰は見た目はとても分かりやすいのです。赤い鳥居がいくつも並んでいて、シンボリックな白い狐が狛犬の替わりに配置されています。
ですが、一方で、神道的にはちょっと難しい扱いで、個人的にはあまり興味がなく、ですが全国的に信仰が広まっていたり、特に企業信仰にはとても重視されている神さまです。
で、このそもそもの神様は、どなたなのかというとなかなか難しいのです。
神道では、『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神を主な祭神とされています。ちなみに稲荷信仰の総本宮は伏見稲荷大社で、ここでは主祭神に宇迦之御魂大神をお祀りしています。
ところが、仏教系の豊川稲荷や、最上稲荷(妙教寺)では、 荼枳尼天 を本尊にしています。この荼枳尼天(だきにてん)とは、梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したものですが、このダーキニーというのは、日本では一般に白狐に乗る天女の姿で表され、稲荷信仰と混同され、習合されましたが、そもそもは、裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女だと言われています。
〇稲荷神とキツネ
狐は古来より日本人にとって神聖視されていて、和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場しております。宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があり、狐の古名は「けつ」で、これが「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのがどうやら最初のようです。
これにより狐は稲荷神のお使いと認知されるようになりました。
稲荷神は元々農業神なので、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、あるいは狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられたと考えられます。
そして、江戸時代に入って稲荷が「商売の神」と公認されて、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という「誤解」が一般に広まったということです。
八幡さまやお伊勢さまのように、武家社会があまり関与していないのが特徴です。逆ないいかたをすると武家の関わりが薄いので確固たるものが薄い感じもいたします。
〇秦氏と渡来人
伏見稲荷大社を創建したとのは秦氏族と伝えられています。
『日本書紀』には、欽明天皇が幼少の頃、 「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見即位の際登用したと記録があります。
秦氏とは、「中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化した」と、『新撰姓氏録』(平安時代に編纂)記録があり、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられています。
また、雄略天皇の時代には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があり、け秦氏族は「絹織物の技に秀でて」おり、後の律令国家建設のために大いに役立ったとされています。朝廷によって厚遇されていたのも、以上の技能を高く買われて、彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていたと考えられます。
初詣にも人気がありますが、前述した豊川稲荷はみくじに「凶」が出るので有名です。
年頭のみくじが「凶」は.... きっと一年戒めろってことなのでしょうか??
聞くところによると、「凶」の確率は4割くらいあるらしいのですが、わたくし自身何度も「凶」を頂いております。ある年などは「凶」が出たので、再度引き直しをしたら「大凶」が....
で、このある年というのが、結婚した年でした。
以来、大変謙虚に結婚生活を送っております...
それにしても、今回はいままでに知っている情報だけで書きましたが、調べれば調べるほど、稲荷信仰は不思議です。このほかにも弘法大師さまとの関係や、企業信仰になっていった所以など色々ありますが、そのあたりは、また機会がありましたら。
ひとつだけ面白い話を。
稲荷寿司は「お稲荷さん」とも呼ばれていますが、これは、稲荷神社の稲荷神(稲生り、つまりお米の出来を司る神様)から、俵を模した俵型の寿司が稲荷寿司となったのが最初なのです。よく狐が油揚げを好むとされていますが、狐は肉食であって、油揚げなど食べません。稲荷神社の狐と関連させた後付けとされています。
ということで、これからはあのそば、うどんは「いなりそば、いなりうどん」と呼ぶことにしようと思います。
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