前回でも述べさせていただきましたが、この日は土曜日でしたので、参拝の方が結構たくさんいらしてました。
特に目立ったのが、赤ちゃんのお宮参り、そしてちょっと早めの七五三??(なのでしょうか??)。
そういえば七夕に七五三を祝う地域もあるらしいことを先日亡くなった恩師から聞いたこともありました。
あ、そうか、この日は「重陽の節句」でした。
でも、京都の上賀茂神社などは有名(そういうことはよく知ってます)ですが、大神神社では聞いたことがありません。
あ、それと、9月9日なので、ククリヒメさまにご縁がある日らしいのですが...
その辺りはスピリチャルな方々は話題にされてましたが、学術的にはなにも関連がないので...
まぁ、筆者のスタンスでは知り得ないことですし、また、重陽の節句参拝に来ている風のかたはお見受けしませんでした。
ただ、漠然と思いましたのは、こういう参拝は大神神社でされるって、やっぱりご縁なのかなぁ...と。
だとしたらこのおこさまたちは、大きくなったら、是非、ご先祖さまに感謝して、後世に伝えてほしいと思いました。
わたくしはそういう幼少の行事はすべて天祖神社。
本家も実家も、母の実家もすべて氏神さまは天祖神社、つまり天照大御神さまです。
なので、やはり崇拝している天津神のトップはアマテラスさまです。
女神さまですし...
あ、序でながら、筆者はアマテラスさま男神説はまったく受け入れませんので、よろしくお願いします。
今後もここで、その話題に(いたしかたなく...)触れることがあるかもしれませんが、受容はいたしません。
ということで、尻切れ蜻蛉で終わった前回のつづき、大神神社・後編です。
(大神神社の境内-大神神社公式サイトからお借りしました。)
拝殿への参拝を終えてからは、まるで遠隔操作をされているように、勝手に足の向くままに歩いておりました
(そのせいで大事なものを見落としてしまうのですが...)
それで、なんとなく気を取り直せたのが祈祷殿を過ぎて「くすり道」の入口。
ここから、奥宮への山道入口のある「狭井神社」に参拝するのが、最初に書きましたように今回の大神神社参拝のコースです。この道にある摂社も楽しみのひとつでしたので、ここで、自分を取り戻しました。
そしてしばらく歩くと、ありました。
「磐座神社(いわくら神社)」です。
こちらのご祭神はスクナビコナさまです。
筆者が最も気になる記紀の神様がこのおかたです。
大神の神さまのそもそもは、既に古事記の物語「大国主神と少名毘古那神の国作り」で書きました通り、国造りを終えると、スクナビコナさまは「常世の国」にお帰りになってしまいます。
その姿を送りながら、オオクニヌシさまは共に二人三脚で国造りを行ってきた相棒のスクナビコナさまを失って、これからひとりでどうやってこの国を守っていこうと悩み、うなだれてしまいます。そこに、海を照らし近づいてくる神があり、「わたしを大和の、青垣の、東の山の上に祀りなさい」といわれます。
この祀られた場所が「三輪山」であり、その神を「大物主命」と呼んでおり、それがこの日本で最初の神社だと言われている大神神社なのであります。
それで、この「神」は一体なんなのだろうということが、古代神話でも謎(というか大切な論点)のひとつなのです。
わたくしは前編で、ごく一般的にいわれている(大物主さま=大国主さまの和魂)説は支持しておりません。
それよりも気になるのが、スクナビコナさまだからなんです。
ですが、これは多分、三輪山を上り、奥宮に辿りついて参拝しないと分からないでしょう。
そして、それは次回参拝のお楽しみに...
但し、この「磐座神社」の磐座をなぜ、スクナビコナさまがご祭神の摂社のご神体にされているかは、それだけで色々創造ができます。
そして狭井神社に...
こちらは崇神天皇の時代に創建されたもので、大神神社本社で大物主命の和魂をお祀りしているのに対して、こちらでは大物主命の荒魂をお祀りしているそうです。
大神神社の成立に関して前編ではあまり述べませんでしたので、ここに簡単に記しますと、そもそもが前述いたしました大物主さまという神様の御霊をこの三輪山にお祀りいたしましたので、この山がご神体です。所謂、アミニズムとして、その後もこの地域の人々には厚く信仰されておりました。
また、この神様は、神武天皇にも関わってこられたりなど、色々と人間世界に関わってこられ、そんなことから、蛇神伝説も残っております。その後、崇神天皇の時代に起こった疫病が流行り民が死亡したことをきっかけに国が乱れた際に大物主が現れ、三輪山に神社を建てればすべて治まるとの神託によりここに正式に大物主を祀った神社を普請したのが、大神神社のはじまりだと伝承されております。
狭井神社もその際に荒魂を祀られたと思われます。
こちらが奥宮山道への入口になります。
土曜日ということもあってか、また昨今の神社人気、登山人気も相俟って、結構たくさんの方が登山されるようです。
一瞬、このあとの予定を返上して、ご神体入山に心が引かれたのですが、その割にはシューズがカジュアル過ぎて...
それと実は、ここに参拝するまでに、もうひとつとても興味のある表記を見つけてしまい、そちらに心も身体も向いておりましたので、ここは簡単に諦めがつきました。
その気になるところとは...
「久延彦神社(くえびこじんじゃ)」
ご祭神はその名の通りクエビコさまなのですが...
クエビコさまって、古事記ファンや、このブログをお読みいただいているかたにはお分かり頂けると思いますが...
案山子です...
これも、前述いたしました、スクナビコナさまが、最初にオオクニヌシさまのところへ来られたとき(「大国主神と少名毘古那神の国作り」を参照ください)に、名前を問いますが返事がなく、誰も存じ上げませんでしたが、ヒキガエルが「クエビコさまなら知っている」といい(古事記では「山のそほど」、即ち案山子の古名で書かれています)、尋ねた神さまで、案山子を神格化したものですなわち田の神、農業の神、土地の神さまです。
わたくしが気になったのは、スクナビコナさまからの流れです。
大神神社の摂社に、そのクエビコさまをお祀りしているということは、スクナビコナさまの流れとしては然程不思議なことではありませんが、ご存じのように、スクナビコナさまをお祀りしている神社は大変すくないのです。
よくある例はやはりオオクニヌシが祭神で、配祀されているところが多いようです。さらにいえば、クエビコさまのお近くに祀られているというお社も、わたくしはあまり存じません。というか、わたくしの参拝紀行では初めてです。
ですから、とても気になってしまい、大神神社の境内からも行かれたのですが、折角なので、鳥居の正面から入ることにいたしました。
クエビコさまは誰もしらなかったスクナビコナさまのことを知っていたということから、「世の中の事をことごとく知っている智恵の神様」と記され、こちらでは、受験合格・学業向上の霊験あらたかな神さまとして位置づけられております。
したがって合格祈願がたくさん収められておりました。
クエビコさまをこのように信仰していることに、稲作国家日本らしさを痛感いたします。案山子は田畑を守るだけでなく、その守り神の象徴として民に稲作を振興し、つまり国造りの知恵を授けるという位置付けをしています。
そして筆者の驚きは、その神がこの大和の地に祀られているということなのです。
伊勢でも、出雲でも、また高千穂でもなく、大和の地に祀られているということ。
大神神社の摂社であることは、この大和がどういう場所であったのか、そして同時にそれは、日本国の発祥の謎、神武天皇の、また崇神天皇の、さらには大国主命であり、さらに天照大御神を筆頭とする天津神の存在を説く鍵となっているのではと、わたくしの中では、新たな、そして大きな課題が生まれた実に嬉しい参拝となりました。
久延彦神社から少し上ったことろに、「大美和の杜展望台」がありました。
大和三山や二上山を眺望する絶景の場所です。
そして最後に、大鳥居を。
限られた時間での初めての大神神社でしたが、レンタカーを運転しながら、「三鳥居」、崇神天皇を祀る「天皇社」そして狭井神社にある「薬井戸」への参拝を忘れたことにきがつきました。(前述した、見失ってしまったものです...)
ですが、今回は初めての参拝でしたし、近いうちにまた参ります。
同時に、たくさん課題を頂きました。
そんな感謝いっぱいの中、三輪山の遠景を何枚か撮影しながら、次の参拝に向かいました。
つづく...
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