実は今回の大和巡礼のきっかけはこのお社に参拝することでした。
この出発は、6月の淡路国生み参拝でした。
その際に大和大國魂神社の参拝をいたしました。
これは山田祥平さんとERIさんによるコラボツアーに参加させて頂いたことは以前にもこのブログで紹介させて頂きました。
そして、そのツアーの同行者でもありました西田千里さんも、この大和神社に参拝されたという話をお聞きしました。
さらに、このツアーに先だって行われたERIさんの「遠隔ヒーリング」の結果を受け取りましたが、その内容で最も驚きましたのが「国津神さまにご縁があり深い係わりがある」ということでした。
正直、おどろきました。
わたくしはずっとアマテラスさまにお導き頂いたという意識がありますので...
しかし、一方でERIさんからそのメッセージを受け取り、
「あっ!これだっ!」と思い当たる節もありました。
それは、このブログでも以前に書きましたが、
「古事記の物語」を追っているときに、
オオクニヌシさまが出てこられた辺りから、それまでと違って思うように
筆が進まなくなってきたことです。
その理由は色々ありますが、やはり、これまでは、こんなに国津神さまのことを
しっかり分析していなかったのでしょうね。
天津神さまと国津神さま。
この真実は一体なんなのか??
今後もわたくしの大きなテーマです。
そんな訳で、この大和神社への参拝が「大和の巡礼」のすべての始まりでした。
大和神社(おおやまとじんじゃ)
所在地 奈良県天理市新泉町星山306
主祭神 日本大国魂大神 、八千戈大神 、御年大神
社格等 式内社(名神大3座) 二十二社(中七社)
旧官幣大社 、別表神社
創建 崇神天皇12年
本殿の様式 春日造
札所等 神仏霊場巡拝の道20番(奈良7番)
例祭 4月1日(チャンチャン祭り)
実は、鳥居の前まで行ってから最初どこにクルマを止めて良いのか分からず、近辺は大変狭い道だし、後ろからクルマも来たので一旦離れて、再度アプローチ!
しかし、どこにも駐車場らしき場所がなく。
ちょっと迷っていたら後ろから来たクルマのかたから声を掛けて頂き、鳥居をくぐりなさいと...
え?? どうみてもこの参道をクルマで入って良いのですか??
ですが鳥居を潜ったら左側に駐車スペースが...
そんな感じの参拝スタートになりましたが、クルマを止めて、参道はとても静寂な空間で心が落ち着きます。
まっすぐ本殿(拝殿)と思しきところへ。
手水場は龍でした。
そして拝殿の手前に「御由緒書き」があったので読みました。なにしろ、初めての参拝、あまり良く存じあげない神様でしたから...
しかし、これを読んでみてびっくり!
「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている。」
ええっ!!!??
実はこの前に参拝させて頂いた檜原神社は、宮中から追い出されたアマテラスさまがまつられた、所謂「元伊勢」最初の場所。
つまり、わたくしは伊勢信仰が、天照信仰が強いので、この天照大御神ご遷座の話はよく知っておりますが、同時に、もうおひとかたの神さまが出されていた(檜原神社のご由緒書きで知りました)神さまが、まさかこの大和神社にお祀りされていたとは...??
それではっといたしました。
今回の大和の巡礼は、過去からの色々なものが重なりあって自然に出来あがっていたのだったということです。
整理いたしますと...
①そもそも檜原神社はずーっと前から参拝したかった場所。
②オオクニヌシさまのくだりで大物主さまの存在をとても意識するようになった。
③淡路で念願の山田祥平さん、絵麗さんコラボに参加。絵麗さんからメッセージを頂く。
④大和神社への参拝を決める
⑤大神神社、奥宮登山を見送り今回のコースに入れる
⑥大神神社、檜原神社、大和神社、そして祟神天皇の存在に直面する。
そういう結果でしょうか???
多分、これも、なにかで読んでいた筈なんです。
もっとも神話や古代史を改めて真剣に学び出したのは最近ですから、一度読んだだけでは記憶が出来ないのだと思いますが。
これも知識に勝る体験です。
しかもこの感動!
ここに参拝することで国津神さま、そして天津神と国津神を、どう捉えていくかの重要性とその責任感にはっきり覚醒したと言って良いと思います。
なにかわたくしの思いばかりになってしまいました。
参拝を振り返っておきますと...
拝殿です。
この向こう側に本殿がありますが、そこまでは入れませんので、神社からお写真をお借りしました。
本殿に三柱の神様がお並びなのも珍しい配置です。
中殿:日本大国魂大神 (=倭大国魂神)
左殿:八千戈大神 (=オオクニヌシ)
右殿:御年大神 (=歳神)
日本大国魂大神(倭大国魂神)以外の祭神については文献によって諸説ありまして、『神社要録』では左殿を須沼比神、『社家説』『元要記』では左殿を三輪大明神(大物主)・右殿を天照大神、『元要記一説』では右殿を稲倉魂神としております。
ところで、やはりこの日本大国魂大神(倭大国魂神)を一言で現すのは難しいのです。
摂社に参拝しました。
高龗神社(たかおかみじんじゃ)
大和神社の摂社・高龗神は祈雨神祭について全国総本社です。
朝日神社・厳島神社・事代神社
厳島神社 御祭神は市杵島姫命
事代主神社 御祭神は事代主神
朝日神社 御祭神は朝日豊明姫神(天照坐皇大神=天照大御神の別名)
増御子神社(ますみこじんじゃ)
猿田彦神、天鈿女命(あまのうすめ)、神武天皇の功臣、椎根津彦の子孫市磯長尾市氏命を祀っています。
正直、こちらに猿田彦さまと天鈿女命さまを祀っておられる摂社があるとは思いませんでした。
猿田彦さまもわたくしの学習の課題の神さまです。
天孫降臨のとき、なぜ、この神様は道案内をされたのか??
伊勢にもいらっしゃいますが、実際はちょっと離れた鈴鹿の山においでです。
それはどういう意味なのか??
やはり国津神さまなのでしょうか??
そしてさらに不思議なのは、どうしてここに、こういう形でいらっしゃる。
この摂社だけは他のお社と違い、参道の途中に位置しています。
まさしく、その位置どりは、天孫降臨の際の「立ち位置」に似ています。
そのときです。
ある出来事がありました。
蛙です。
この子はツチガエルでしょうか??
蛙は縁起のよい生き物です。
幸運を呼ぶ動物です。
この蛙はお社から出てきました。
そしてわたくしの足元まで来ると、暫くじっとしておりましたが、再びピョンピョンと跳ねて、お社の方へ戻っていきました。
神さまのお使いだったのでしょうか??
蛙です。
もしかしたら離れていた物が帰ってくるのかもしれません。
これは単なる幸運ではなく、多分わたくしの考えは大きく外れてはいないというおさとしだと判断しました。
そう、原点に「立ち返る」ことなのでしょう。
なぜ、自分が神話を学びなおそうと思ったのか??
大事なことはその原点なのでしょう。
そしてそれをきちんと見失わなければ、きちんと繋がっていかれます。
なぜなら、世の中に偶然なんてないからです。
蒔いた種しか芽生えません。
すべては必然です。
わたくしたちはしっかり己の為すべきことを行えばよいのです。
大変難しいことですが...
その確信は、どこに伺ってもそう教えて頂けます。
大和でも、それは変わりありませんでした。
こうして、感動的に大和神社の参拝をさせて頂きました。
ありがとうございました。
つづく...
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