岩代ノ国巡礼(2) ~左下り観音

前回はさらっと流しましたが、なぜ、会津が家内との思い出の場所なのか、不思議だと思し召されるといけない(すっごく自己中でしょ?? 笑)と、ちょっとだけ触れると、そもそも30人くらいで集まって夏の時期にどこかで合宿をやろうという企画がありました。

しかし、当時はバブル絶頂期。

軽井沢のコテージなんて向こう3年間くらい予約が埋まっていると言われたし、しかもその当時は急激に価格も高騰していました。
自炊なんかは結構得意な方々(というか女子の方が多かったので...)が参加メンバーだったので、とにかくひとところに大勢が集まれる場所はないかって...

そうしたら、たまたま当時色々と無理難題を聞いてくださっていた印刷会社の社長さまが、「少し遠くても良いのなら...」
と、ご紹介くださったのが、会津近隣の「水織音(みおりね)の郷」というところでした。
とても広大な別荘地で、社長のところは30人の宿泊が可能な大きな物件でした。

※ちなみに現在、この「水織音の郷」は以前の面影のない、別荘地も持ち主のないものばかりでかなり荒廃してしまったそうです。

え?? 会津なんて、近い近いって、まだ磐越道がないころで、郡山か手前の白河から下道をちんたら行く時代でしたが、関越道だってまだ関越トンネルがないころ、苗場には藤岡で降りて三国街道を、おなじく軽井沢も碓氷峠を越えていった時代ですからね。今から考えてみれば「近く」はないです。
でも、みなさま、クルマ好きでした。なので、このくらいの距離なら平気なんですね。大勢なら楽しいですし、そんな時代でしたね。

その下見に行った際に、一緒だったのが家内でしたが、その下見がきっかけで交際がはじまり、その略一年後には結婚しておりました。まさにスピード結婚でした。別にこれは惚気ではなく、最初に出会ったときに、このひととはなにかしらつきあうことになるだろうと、漠然と思いましたが、当時28歳でしたし、やっぱりそんな時期だったのですね。

ある意味(このときは下見以外に行ったところと言えば、お決まりの鶴ケ城、飯盛山、栄螺堂、そして東山温泉宿泊と、どこにも参拝しませんでしたが)これは縁結びだったのですね。

なので、義母の手術の参拝に伊佐須美神社に行かれたのです。
まさしく必然です。

このときに決まっていたのですね。

ところで、今回の会津は、今まで存じえなかった、しかし、どれも中々意味のあるところに参拝させて頂きました。

神社以外もありますが、それを簡単に報告させていただきます。


〇左下り観音(さくだりかんのん)

たまたま、会津界隈の寺社を検索したら見つけましたが、ウェブでみてもこの迫力に、本物をみたくなりました。

駐車場から10分くらいの山道登り坂。あ、前回書きましたが、この日、東京は雨(実はこの翌日の慶事は台風なみの大雨でした)だったのに、こちらではずっと曇り空で雨がありませんでした。ラッキーです。

山道を歩いた末に...

おおっ!
まるで清水さんのようです。
しかし、こちらはいつ頃の創建なのでしょうか...

鎌倉時代という説明がありますね。
なにかもっと古い感じがいたしますが...
やはり東北地方は風雪厳しいのでしょうが、木造建造物にも厳しい環境なのでしょうか??

舞台の上に立てそうなので登ってみました。

観音堂があります。
まずはこちらにお参りいたしてから、散策を。

んん、ちょっと気配を感じましたので舞台より先に引かれるように裏へまいりましたが....


ええっ!ここでも洞窟ですか(先週、沖縄ではすっと洞窟でしたので...)??

いや、違います。
よく見たら、観音様?? し、しかも、頭がない??
あ、これは首なし観音さまですね。

でも、どうしてこんな...
いや、実は、とても当てはまることがありまして...
これは後述します。

観音様に合掌いたしましてから、いよいよ表舞台へ。


かなり危険を伴うようですが...
会津地方の秋を一望できます。


初めての場所はやはり緊張いたしますが、一方で、下調べが十分でないと、どうしても見過ごしてしまうものがあります。

あとで、資料を読んで、え、あそこにあんなものがあったのかーー?? とか、あ、こういう謂れがあるのなら違う見方が出来たのになぁ... とか??

ですが、最近はそういう旅や出会いはやめました。

自分に必要なものなら、繋がれると分かったからです。

正直、ここのように興味本位で来るところもあります。
(その逆で呼ばれるところもあります。伊佐須美神社がまさにそうでした。)

左下り観音堂は、この建造物を見に来たのですので...



さて、この絶景に別れを告げて下山していると、ふと、あることを思い出しました。

いや、正確に言うと、思い出したというよりも突然飛び込んで来たという感じでしょうか?

「思い出す」という行動は、思い出す要因と、思い出さなければいけない状況が相俟っている環境で起こるものなのですね。
ですから、「思い出して良かった」って感じるのですが、これは違います。
確かに以前知識として持っていたものですが、突然、飛び込んできました。
しかも、ここのところよくある「体験」に裏付けられた行為ではなく。


ややっ!!??
これってなんでしょうか...



つづく...




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