身近な神々

わたくしに最初に神々の存在を教えてくれたのは母でした。


わたくしの家は父の仕事の関係もあり、

本家からクルマで10分くらい離れたところに設けられました。

その家には、居間に神棚があり、

「天照皇大神宮」のお札が中心に、

向かって右に「天祖神社神璽」、

向かって左に「氷川神社祈祷神璽」

がおまつりしてあり、

毎月1日と15日に、御榊を交換していました。


向かって左のお札はいつもこれではなく

たまに変わった記憶がありました。

おそらく、年始に初詣に行った際に

取り換えていたのだと思います。


中央は伊勢神宮ですが、

氏神さまも天祖神社なので、

いま、よく考えると、

アマテラスさまが、中央と左にいらっしゃったことになります。


しかし、家の中にいらっしゃった神様は、

神棚だけではありませんでした。



父は、医師で、大学病院の医局におりましたが、

わたくしが本家から越してきたこの場所は、

東京都にも関わらず「無医村」で、

近所のかたがたのたっての希望もあって、

最初、夜間診療のみという形で開業いたしました。


19時~23時という、変則的な診療時間。


それでも、患者さんは多いときで20人くらい。

それも「小児科」なのに、高齢者ばかり。

この土地に古くから住んでおられる方々でした。

なんでも江戸時代末期以来、

こんなにすぐ近くにお医者さまがこられたと...


話が逸れてしまいました。

よくあることです。



なので、母屋の次に建てられた診療所の待合室にも

神棚が設けられ、こちらは氏神さま、

「天祖神社神璽」がまつられました。

そうすると、お年寄りのかたは殆ど、

診察を受けにくると、この神棚に拝んでおられましたし、

なかには二礼二拍一礼しているかたも


不思議な光景でした。


さらに、わたくしの家にはいたるところに神様がいらっしゃいました。


玄関、台所、茶の間、寝室、わたくしと妹の勉強部屋、浴室、

そしてなんとトイレにまで。

そういえば、家では、トイレのことを御不浄(ごふじょ)と呼んでました。

これは、父方の実家も、母方の実家でも共通でした。


いま、考えると、一体なんの神様をおまつりしていたのか

とても興味がありますが、

残念ながら、母は三年前に他界したのでわかりません。


あ、多分、聞いても明確な回答は得られなかったでしょう??


というのも、かなり神仏混合な家でして、

これらの神様も、父・母両家でおまつりしていた神様を

かなりごちゃまぜにしていた感があります。


そんな生活空間で育ちました。


そういえば、これだけ信心深いのに、

お稲荷さまの祠が庭になかったのは不思議ですね。


ですから、母はいつも言ってました。


「どんなところにも、どんな場所にもかみさまがいらしゃる」

「だから神様には、いつも感謝しなくてはいけません」

「悪いことをしても、神様はお見通しなのですよ」


もしかしたら、三番目が一番言いたかったのではないかと

いまでもたまに思うことがあります。


あ、それと、寝室はやはり立派な神棚で

そこには鏡が置いてあり、御榊もありました。


いま、ふと思い出しました。


今現在、母が他界したあとの実家はどうなっているのか

ちょっと心配になりました。


日本には八百万の神々がいらっしゃる。

そういうことをごく自然に生活空間のなかで

おしえられた体験でした。


神々の東雲

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