古事記と共に、古事記の解説、解読書も結構読んでおりますが、意外にこのことには触れられていません。
「イザナミさまと火の誕生」で書いたイザナミさまの「死」に関してもそうですので、勝手に持論を展開してしまいました。
今回もそうです。
イザナキさまは、産まれたばかりのカグツチさまを斬りました。
神が神を殺す?
カグツチさまは死んだのでしょうか?
わたくしの結論はこうです。
神は死にません。
イザナキさまの行動はおかしいです。しかし、この神が神を殺すということを、どうしてもイザナキさまにさせなければならなかったのです。
それに関して考えてみたいと思います。
神は死にません。
そもそも、ここまで出ておいでになられた「天つ国」の神様は、どなたも死んだのではなく「御隠れ」になられています。
なのでその後も、いろいろな場面やかたちで「御隠れ」になられた神様がお出でくださるのです。
ですので、イザナミさまも、葬られましたが、その後は黄泉の国へ行かれまして、そして黄泉の国で生きておられます。
(ここは別の記事で書きます。ごっちゃになってしまうので...)
さて、「天つ神」と前述しましたが、ここもポイントです。どこまでが天つ神さまなのでしょうか??
イザナキさま、イザナミさまは勿論「天つ神」です。では、そのお子様たちはどうなのでしょうか??
イザナミさまからお生まれなので、「天つ神」なのでしょうか。それとも、高天原でなく中原で産まれたから、
「国つ神」、あるいは、そのどちらでもないのでしょうか??
一応、定義はこうなっています。
天つ神(天津神)=高天原の神(別天津神、神代七代、三貴子、その他ニニギさまなど)
国つ神(国津神)= 天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)、大国主、 大国主の御子神など
この定義によると、イザナミさまから産まれた神様の属性はありません。アマテラスさまなど三貴子は、イザナキさまのお子ですが、イザナミさまからは産まれていません(注ー古事記においては)。
ここに「古事記」の大きなポイントがあります。
これは、特にこの後も大事な部分なので(ただ、いまこの時点では明確に表現できませんが)書いておきますと、ヤマト政権の成立に大きく関わってくるからです。
この後の、スサノオさま、国譲り、天孫降臨とおおきな「神話」ネタがたくさん出てきますが、その伏線のために、イザナキさまは特別な存在であること、だから、神であっても、わが子であっても斬れる。斬って良い。
これはヤマト政権が確立するためには、ある程度は手段を選ばず、しかも「いたしかたなくやった」ことを正統化している部分です。
さらにいえば、このカグツチさまは火の神で「文明の象徴」でもあります。それを遠ざけるというのは文明の高い他国(もっといえば日本国ではない?)を示唆しているともいえます。
つまり、そういう存在に対しては断固として排除していくという「決意」、いわば三国志の「泣いて馬謖を斬る」的なところがあったのではないでしょうか??
一方で、カグツチさまは死んだのでしょうか??
そのあとで出てくることがないので、古事記の法則からしたら、死んだのかもしれません。
しかし、それは古事記という神話の中での話で、「火」は人間生活になくてはならないものです。
但し「自然」の元になった神様とは一線を画しています。自然発生しないものではありませんが、この時点では、なにかを起こして発生するものだというところで、分別されています。
記紀の学術研究者はあまりここに重きを置いていないのは、実はこの部分を掘り下げると、この後も辻褄が合わなくなることがたくさん出てきます。だから、わたくしのような素人でないと、こういう箇所には食いつかないのかと思いました。
ただ、最近の神道研究者の中には、イザナキさまが斬ったのはカグツチさまご本人ではなく、イザナキさまの心の中にある邪悪な要因を立ちきった、なので、新しい神々も産まれたという大変高尚な説もあるそうです。
この辺りになると、今のわたくし、また、このブログコンセプトも根底から変えなければいけませんので、そういう説もあるということだけ記述させて頂きました。
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