伊邪那美命 (いざなみのみこと)

このブログにはここまで何度も登場頂きましたイザナミさま。

実は、神話の本の殆どに、イザナミさまは、「イザナキさまとイザナミさま」というようにお二人揃って解説されています。なので、筆者は敢えて、ここを分けてご紹介することに致しました。つまり、この夫婦神に起きたことを、片方からみることによって、どんな神さまだったのかということを改めて考えてみようと思いました。


まず、誕生は、イザナキさまと一緒です。神世七代の最後に出てこられた神さまです。

しかし、古事記には「妹」とも表記されている箇所があります。そして高天原から葦原中国におりて国造りをするように命じられます。そのためにイザナキさまとふたりで下界へ降りていきました。下界におりたら、自分の体は一か所凹んだ箇所があることに気づきます。一方、イザナキさまには逆に一か所凸の部分があることに気づきます。そこで、それを合わせてみることにしました。


ここは、大変面白い表記だと思います。

なぜなら、お二人はこの凹凸のことに、高天原ではお気づきにならなかったのでしょうか?? いいえ、違います。このお二方は、中つ国に降りて来たときに、この世界の「仕様」になったのでしょう。これは実は旧約聖書にも似ています。エデンの園で、アダムとイヴが禁断の果実を国にすることでお互いの性を知る。似ていますが、なんと人間的でしょうか。そして、これが、基督教の「原罪」なのです。つまり、人間は「汚らわしい者」として、また「罪深き者」として出発しているのです。なんと人間とは残念なのでしょうか?


日本の神さまは違います。但し、高天原の暮らしは、葦原中国ではできないようで、姿も変わっているのでしょう。

これがイザナミさまのスタートです。

最初は国を、そして神を産みます。このとき残念なことに、はじめのふたりは不具の子でした。そしてそれは、本来イザナキさまからお声をかけなければいけないところをイザナミさまが先にかけてしまったからと、高天原の神々の占いでそう示されました。そういう風潮だったのでしょうね、当時は...。

しかし、本当にそうなのかという疑問があります。

というもの、日本の最高神、アマテラスさまは女神です。また、古事記には直接表記がありませんが、卑弥呼さま、神功皇后など既に日本史に於いて大活躍をされている女性がおります。推古天皇も初めて女性で天皇に即位された、その直後に古事記は編纂されていますので、この男尊女卑的な発想はこの時代でもナンセンスです。

ここのポイントは、国産みに関して天津神の助言を得ているというところです。つまり葦原中国はそのものだけでは成り立たなく高天原からの命によって成り立つということ、これは、他の場面にも多く出てきますので、今後もご紹介していきます。

もうひとつは近親結婚のタブー視でしょう。イザナキさま、イザナミさまは夫婦神であると同時に、兄妹です。この当時は多かった近親結婚を、丁度5~6世紀に入ってきた儒教思想という衣で包み葬ろうとした結果、思いついたのが、イザナミさまの「女人先言」なのです。


イザナミさまの死因に関しましては、既に何度も述べましたので割愛しますが、イザナミさまは病気にも関わらす、神様を誕生させます。

この辺りは地上にあられても、人間の仕様になっていても「神さま」なんです。イエスキリストは「復活」することで、人間を越えた存在になりました。イザナミさまもこのようにして人間を超越した行為をなさっています。そしてイザナミさまにこうしたことが可能だということが、後々イザナキさまの「禊」と「祓」においてもイザナミさまと一緒ではなく単独で神様を生成するようになりました。


しかし、残念なことに、イザナミさまはイザナキさまと最終的には別の道を歩んでしまいました。

黄泉の国を支配する 黄泉津大神(よもつおおかみ)という名前に変わりました。また道敷大神(ちしきのおおかみ)という名もありますが、これは黄泉比良坂でイザナギに追いついた神という意味です。

現在、ほとんどのお社では、イザナキさまとイザナミさまはニ柱揃って祀られていますが、神話では(神さまに死はありませんから...)、永遠に袂を分かつことになってしまったのも、やはり葦原中国の「人間仕様」は、神さまと言えどもって?? 俗世間なんですかね、この世の中は...

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