彌彦神社 (いやひこじんじゃ)

都内近郊でも、氏神さまでもないのに、ここ1年半の間に3回も参拝させて頂いた神社があります。伊勢神宮には、ここのところ年に3回平均で参拝させて頂いているので、それに次いで多いのが、この弥彦神社です。わたくしは新潟にご縁があり、毎年数回はお邪魔しているのですが、この神社のことはまったく存じませんでした。


それが昨年、初めてお誘いを頂いたのですが、その予定だと行かれないと思い、その前に新潟に行った際にご当地の恩人の連れて行って頂いたのが最初でした。その際にわかったのは、いやいや、新潟から大変遠いこと。まず、電車ではよほど時間を併せないと行かれませんし、行っても今度は帰ってこれません。クルマでないと行かれないこと。これが、ずっと彌彦神社に参拝するという発想に繋がらなかった原因でした。

最初の参拝は昨年の5月、青葉が美しい、ですが若干、雨模様の日でした。



所在地 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898

主祭神 天香山命

神体 弥彦山(神体山)

社格等 式内社(名神大) 、越後国一宮、旧国幣中社、別表神社

創建 不詳

五月雨に杜の緑が一層美しく演出させておりました。

見事なご本殿

このときに知ったのが、2015年は、ご遷座100年ということでした。聞くところによると、1912年に門前からの大火で彌彦神社は全焼。

越後一宮焼失は、当時の新潟県民にとって大きな衝撃であり、御再建への県民の熱意は目覚ましく、目標を超える浄財と勤労奉仕によって大正5年(1916)、現在の荘厳・壮大なる御社殿が御再建されたそうです。新潟県民にとって、誇りある神社だったのです。しかし、100年の歳月は、その思いを少しずつ遠ざけ、いつしか、言外からの参拝者が多くなっていったとのことでした。わたくしをご案内してくださった方々が、ギリギリまだ、「おやひこ」さまを守り神として讃えている世代でしょうか?


弥彦神社は、後方にある弥彦山自体がご神体になります。

山頂に奥宮がありますが、このときは登りませんでした。



2回目の参拝は同じ年の秋、9月でした。お誘いを頂いていた専用バスのツアーに参加できました。

このときはボランティアの案内係のかたの説明もあり、より、この神社のことが分かりました。

しかし、残念ながらお天気は雨模様、その雨の中を奥宮に参拝。視界1メートルの霞の中をとてもたくさん歩いた思いがしました。

そして今回は3回目。この僅かの間に三度の参拝に、この神社と、ご一緒した方々との深いご恩を感じ入ります。

そう、なんといっても簡単にちょっこと行かれる場所ではありませんので...

また、3回ともクルマでしたが、今回はわたくしが運転してました。



まず、奥宮へ。前回はまったく見えなかった見事な下界の眺望。

新潟平野側と日本海側...

ここはパワースポットらしく、特に縁結び、縁起こし。ただ、そういうところは縁切りもあるらしいのです。その辺りは専門外なのでよく存じあげませんが...

ですが、たしかにパワーがありそうな御神廟、 ここにご祭神「天香山命(あめのかごやまのみこと)」と、姫神「熟穂屋姫命(うましほやひめのひこと)」が祀られています。とても夫婦仲が良い神様なので、この奥宮は縁結びの名所として有名です。

ここで、弥彦神社のことに関して少し触れておきます。

ご祭神は、 天香山命(あめのかぐやまのみこと)このかみさまは、天照大御神の曾孫神さまにあたり、天孫降臨32柱の1柱にもお名前を連ねておられますが、尾張氏の祖神として、物部の祖神宇摩志摩治命(うましまぢのみこと)とは兄弟神です。

社伝によれば、 天香山命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされています。このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ「伊夜比古神」として崇敬されました。このほか、彌彦の大神は、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏したとされています。

そしてここに参拝したら、絶対に立ち寄りたいのが、「宝物殿」です。ここには歴代天皇の肖像画があります。「天照大御神」から「今上天皇」まで、126枚の肖像が展示されております。昨年初めて拝見したときは、所謂、歴史の教科書等で顔なじみ(?)の天皇も、かなり感じが違ってちょっと面喰いました。


今年はというと、まず、天照大御神が昨年は表情がもっと怖かったと思いましたが、今年はお優しく感じました。それと不思議なもので、昨年と目に入ってくる天皇が全然違うのですね。この違いはなんなのか?? 全く解明できませんが....


わたくしは存じえなかったのですが、明治神宮の宝物殿にも歴代天皇肖像画の展示があるのですね。こことは違うもののようですが....近々行ってみたいと思います。


宝物殿は閉館間際で、シャッターを下ろそうとしていたところでしたが、「まだどうぞ」とにっこり言われたひとの優しさにも触れられました。おそらく、このお社と共に越後の誇りを持ったかたなのではないかと思いました。





最後にひとこと。

たいへん残念なものをみてしまいました。

実は前述、最初に奥宮に参拝した際には「霞」がすごくて、気づかなかったのですが....


奥宮の背後にこんな鉄塔が...

美しくありませんよね。

更に、ここは山自体がご神体なのです、なのに....

なんとこんなにたくさんの鉄塔が???
これは放送局のものでしょうか??

そもそもこういうものは嫌いです。

いいえ、嫌いの問題でなく、この山は神さまなのですね。このまわりにも山はあります。

でも、本当にどうしてこんなことをするのでしょうか??

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