平成29年初詣特集② ~八幡さま~

「初詣」とは、そもそもは「年籠り」(としこもり、としごもり)と言って、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣でした。その後、年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となりました。

江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われていました。



八幡信仰

八幡さま。確かに多いですね。

東京近郊では、なんといっても鎌倉の「鶴岡八幡宮」、そして「富岡八幡宮」は「横綱力士碑」も有名です。

全国的にはなんといっても「宇佐八幡宮」と「石清水(いわしみず)八幡宮」でしょうか??

八幡さまは、ご存じの通り源氏の守護神です。源義家は「八幡太郎義家」と名乗っておりましたし、事実関東には義家普請と伝えられている八幡宮が多数鎮座しております。ですが、もともとは次のような謂れがあります。



〇誉田別命(ほんだわけのみこと)

ご祭神は誉田別命、これは応神天皇のことです。応神天皇はご存じのとおり、かの神功皇后のお子様で、第15代天皇です。

この誉田別命の神霊を、八幡神として宇佐の地に示現されたのは欽明天皇の時代です。その際に、併せて比売神と神功皇后も一緒に「八幡三神」として祀っているのがはじまりです。比売神(ひめがみ)とは、神道の神さまで、神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで比売神(比売大神)、比咩神、姫大神などと書かれていますが、これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものです。

最も有名な比売神がこの八幡社の比売大神である。宇佐神宮ほかではこれは宗像三神のことであるとしていますが、八幡社の比売大神の正体については卑弥呼をはじめとして諸説あります。


〇なぜ源氏の守護神に

さて、その八幡さまが、どうして源氏の守護神になったのかは諸説あります。一番大きな要因としては、この国の特有である「神仏習合」にあります。

というのも、記紀、及び「続日本紀」においても、八幡神と応神天皇の関わりに関しては全く表記がありません。一方で、「東大寺要録」や「住吉大社神代記」には、八幡神を応神天皇とする記述が登場することから、奈良時代から平安時代にかけて応神天皇が八幡神と習合し始めたと推定されています。

さらに、宇佐神社は「託宣」が行われるところとして知られるようになります。有名な話が和気清麻呂と道鏡の事件です。

そんなこともあり、平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたのが石清水八幡宮です。

その石清水八幡宮で元服したのが源義家で、彼は八幡さまと更に八幡大菩薩のご加護を念じて「八幡太郎義家」と名乗りました。八幡さまは源氏のみならず武家の信仰があつく平氏も信仰しておりましたが、義家の2回にわたる東北征伐により東国にひろくひろまったことで、八幡宮=源氏 の色合いが濃くなり、鎌倉の鶴岡八幡宮はこの石清水から勧請され、のちの宇佐と併せて「日本三大八幡宮」と言われるようになりました。

〇ご利益

八幡さまはこのように武神としての性格が浸透し、戦前までは勝利の神様的な存在でしたが、戦後、平和国家を築いていく中でその色合いはなくなりつつあります。勝負の神様的なところもありましたが、そもそもが「鍛冶の神」、或いは、「農業神」、「焼畑神」であったことから、その性格やご利益はその職業に携わっているかた以外には敬重されず、どちらかというと生活に根付いた「成就」や「縁結び」の神様とされております。

また、「文武の神」でもあるので、本来「受験」などでも成就祈願の対象になりますが、こちらはやはり「天神さま」には及ばないようですね。



初詣では中々行かれませんが、宇佐神宮も石清水八幡宮も随分長いこと参拝させて頂いておりません。

来年は是非お伺いしたいと思います。

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