猿田毘古神 (さるたひこのかみ)

実は、いまこのブログを更新していく上に於いて、大きな壁に向かっています。

壁っていいかたは大袈裟かもしれませんが、それは、筆者の今後の人生に於いても大きく関わって来ると思うからなんです。

簡単に言うと、仕事と趣味の境目なんです。

但し、その本質を突き詰めて考えるには幾ら時間があっても足りませんし、筆者にはそれは向いていません。

それは考える時間があるのだったら、動いてしまうからなんです。

考えが詰まったときは、観点を変える、そのためには動くことだからなのですね。


でも、一方で、わたくしが生涯でやり遂げたいことに向かうには、些か、回り道が多かったことも事実だということも漸くわかってきました。


さて、どうしたらよいものでしょうか??


でもこれは自分で決めなくてはいけない、いや、小さな決断はたくさんして来ましたし、ですから、いまがあるのだし...


「さるたひこのかみ」の書き出しに、なぜこんなことから入ったかというと、神話研究(研究にはほど遠いのですが....)においても、この神さまを何処に位置付けるかが実はわたくしは最も重要で難しいと思っているからなんです。


その理由は... それは少しだけ、最後に書かせて頂きます。



お名前

『古事記』では猿田毘古神、ほかに猿田毘古大神・猿田毘古之男神

『日本書紀』では猿田彦命と表記


妻子

奥方は天宇受売命(あめのうずめ)

余りにも有名なこの神との出会いや馴れ初め、その後についてもたくさんの逸話があります。記紀においては、天津神々の希望で結びついたことになっています。


伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死にます。

このときに、海に沈んでいる時に「底どく御魂」

猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、

泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」

という三柱の神が生まれたとされています。


信仰、祭神

猿田彦を祭神とする神社

椿大神社(総本宮:三重県鈴鹿)

 猿田彦大本宮とも呼ばれる。猿田彦大神を祀る神社の総本社とされる。

都波岐神社・奈加等神社

猿田彦神社(総本宮:三重県伊勢市)

二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)

白鬚神社(総本宮:滋賀県高島市)

庚申塚

道祖神

 天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視されました。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られております。妻とされる天宇受売神とともに祀られるのが通例です。

邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた」と古事記に記述がありますが、サルタヒコさまは国津神でありますが、道案内をされたと同時に、光を放っていたことから、このかたは太陽に関係のあるおかただと思われます。


さらに言えば、このかたの妻となったのが 天宇受売命(あめのうずめ)です。あめのうずめは、天照大御神天岩戸にお隠れになった際にも光を取り戻すために活躍された功績のあるおかた。つまり「太陽」にご縁のあるかたなのです。そういうことからも、サルタヒコさまと一緒になられるというのは必然な流れだったのでしょう。



最後に冒頭の件なのですが、確かに、年度末等で忙しなく、このブログの更新が滞ってしまった理由はそれだけでなく、今回の題材を選んでからずっとなんですね。


その理由は、「椿大神社」に参拝したときなのです。


筆者は特別に強い霊感のようなものは持ち合わせておりません。一時期、亡くなったかたがご挨拶に来られたり、そういう方々をご縁のある場所や催しでお会いしたり、また、お声をかけられたこともありましたが、それは誰にでもある感覚だと(信じる信じないのレベル)思っています。でも、「ひらめき」を頂くようになったのが、ここ10年くらい、特に、お伊勢さまをはじめ、やはり名だたるお社に参拝するといただくのです。で、こちらでは、とっても大きなお荷物を頂いたのです。実は暫くの間ずっと重かったのです。


それと関係するのかどうかわかりませんが、サルタヒコさまというのは、アマテラスさまと同じく「太陽神」だという記述があります。


こう考えればよいのでしょう。


そもそもこの伊勢の地方の太陽神でした(太陽神は、他にもいらしたと思います。世界中のどこの地域にもいらっしゃるように…)。ですが、地中央集権国家となり、皇室を中心とした政権が作られたので、出雲のように葬られた小国はたくさんあります。小国というより、それはそれぞれの地場の神々も同様でしょう。


ですが、このサルタヒコさまは違いました。なぜなら、ここにアマテラスさまが祀られることになったからです。そして生き残りましたが、その経緯を明確にさせるために、ニニギさまの「天孫降臨」の際には道案内役に抜擢された。


そう、つまり逆なのですね。天孫は、伊勢の国に古くから信仰されていた太陽神に道案内されなければ「天孫」にならなかったのです。


このような、裏記紀的な見方は、これからもどうしても必要です。


なぜなら、いよいよもう暫くして、本編の進行は、「神代」から「歴史」に入ってくるからです。


そしてその母体の多くは、この「天孫降臨」迄の多くの出来事の中に隠されているからです。

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