この淡路の「国生み参拝」(と、勝手に名付けました...)は、二日間にわたって行いましたが、そのもともとのきっかけになったのは、この4月に、「春の京都参拝① (木嶋神社•蚕ノ社)」、「春の京都参拝② (月読神社)」で書きましたように、それらのお社参拝のヒントをくださった、*内なる神とあなたを繋ぐオーダーメイドの愛繋人(あんないにん)ERI*のブログに紹介された、"あなたが生まれ直し、天地を結ぶ"淡路ツアーの開催を知り、そもそも行きたいと思っていた淡路に、この機会を逃すといつ行かれるか分からないと思ったからでした。
そうなんですね。
結構、一人で参拝をしていると不思議がられます。
でも、参拝というのは信心だったり、以前の寺院と違い、こと、神社参拝というのは報恩感謝の現れですから、確かによくご存知の方と巡るのは楽しいし勉強にもなりますが、あまり、人さまをお誘いするものでもなく(あ、筆者はお誘いを受ける方はウェルカムですが...)、やはり一人というのが多いですね。
なので、一人となると、やはり大阪より西はちょっと敷居が高いんです。
一泊では無理だし、例えば出雲にしても、高千穂にしても最低二泊はしないと行きたいところをすべては回れませんので...
要するに、寂しがり屋なのでしょうか?
昨年は、初めて一人でホテルでフレンチ食べましたし、日本旅館も一人で泊まったのですが、やはり寂しかったですね。
なので、今回の淡路参拝は、ERIさん企画がなかったら実現しませんでした。
おかげさまですが、これは決して偶然ではなくて(わたくしは偶然を信じません。すべては必然です)、そうなることになっています。
だから、行きたいと思っていたら、行けました。
その淡路ツアーの前日に、沼島と、翌日には巡らないけれど、重要なところに参拝させていただきました。
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)です。
沼島に、「おのころ神社」というお社がありましたが、こちらは南あわじ市にあります。
この鳥居がすごいので、古事記に関係する書物を読んでいて、すぐに覚えられました。
前回の記事に書きましたように、この神社のある場所もおのころじまの場所の候補になっています。
実際にみたこの立派な鳥居。
実は、朝、沼島に行くときに高速道路からも発見してました。
そのくらい大きいものなのです。
日本三大鳥居(厳島神社、平安神宮とここだそうです)にもなっているそうです。
先の二社はなんども参拝したことがありますので、これで、三大鳥居を制覇したことになります。
なんとなく嬉しいです。
こちらのご祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命の主祭神に合わせて、菊理姫命も合祀されています。
なるほど、ククリヒメ様。白山神社のご祭神、白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神だとされています。
ククリヒメ様はとても不思議な神様です。
その理由は、古事記には全く出てこられないのですが、日本書紀には登場されるのです。
そして、イザナキさまとイザナミさまの仲直りを取り持ったかただとされています。
イザナキさまは黄泉の国まで行って、イザナキさまを連れて帰ろうとしますが、約束を破り、イザナキさまのお姿をみてしまったので、怒ったイザナミさまは黄泉の国から逃げるイザナキさまを追いかけて行きます(「伊耶那岐神、黄泉の国へ」をご覧ください)。
しかし、このときに「古事記」や「日本書記」本編にはまったく登場なさいませんが、「日本書記」の一書(第十)に以下のような表記があります。
【原文】
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
【解釈文】
その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
ということで、具体的にククリヒメさまがなにを仰ったのかはどこにも書かれておりません。
ですが、この進言により、仲直りをされたのは事実なのです。
しかも、古事記の別のこの記述。
イザナミさまが、「一日絞殺千頭」に対してイザナキさまは「吾一日立千五百産屋」と言われています。
イザナキさまは「産屋を建てる」、つまり、おひとりでは御子はつくれない。それはそうです、男神さまですから。
相手がいる、そのお相手はイザナミさまなのですね。
お二人の魂は繋がっておられる。
ということなんです。生きる場所は別々ですが、「愛」と「絆」で繋がっておられるのです。
以前、筆者がカグツチさまをイザナキさまが斬ったとは、自分の中にある、邪心を立ちきったと記しました。
(神は死なないという筆者の持論から発したものでした)
そのときは、まだあまり確証はなかったのですが、この自凝島神社の参拝で、その核心に迫れました。
だから、イザナキさま、イザナミさま、そしてククリヒメさまも一緒に祀られているのですね。
境内にある「八百萬神社」。イザナキさま、イザナミさまの御子神様を奉斎しております。
これは「鶺鴒石」。
二神は、正殿前にあるこの石の上に、つがいの鶺鴒(せきれい)が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられという逸話に基づいて祀られています。
この赤と白の紐の引きかたは願いによって違います。
実はわたくしも...
ある思いをこめましたら、強く引いてはいないのに、なんと石が反応しました。
なぜでしょうか。
参拝を終えましたが、なんども振り返ってしまうほどに、立派な鳥居です。
ここも、立ち去り難いお社でした。
そして、この日の最後は、もうひとつの「おのごろじま」候補である「絵島」に行ってきました。
こちらは、淡路島の北の方、つまり、淡路大橋を渡ってすぐのあたりにあります。
ここはおのごろ伝説もありますが、それよりも、和歌に詠われることの多い景勝の地としてしられています。
その昔は、この絵島をみにくるだけのためにわざわざ舟を出したそうです。
西行法師も
「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)
と詠んでいます。
もう、いくつか行きたいところもありましたが、明日もありますので、淡路、沼島の初日の行程を終えました。
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