琉球八社巡礼.5 安里八幡宮、識名宮、末吉宮

それにしても、こんなときにこんなことに気づいてしまうとは...

わたくしの尊敬する大先輩に、自ら超高級社用車を運転され、日本中を交流されているかたが居られます。

わたくしより一回り以上も上なのに、そのバイタリティたるや、素晴らしいものです。

以前、何故クルマで移動されるのかを尋ねたら、ヘリだと着陸するところが限られる選ぶ(半分冗談なのですが、ヘリの免許も取得されているので嘘ではないのです。そういうスーパーマンみたいなかたです)からだそうです...

もうひとつは、色々なことを考えられるからだと仰られました。

確かに、ひとりでクルマを運転しているときは、静かで自由な空間ですが、わたくしはそんなに難しい事柄は考えられません。

前回
の最後にちょっとだけ書きましたが、この「琉球八社巡礼」の本当の意味。

そのことを考えだしたら、読みたい史料も幾つか思い当たりましたし、やっぱり、こういう結論に辿り着いた大きな要因は、9月の大和巡礼にあった訳で、そのときのメモもきちんとまとめなければいけなし、そんなことを考えてながら知らない道路を走るというのはストレスまでは感じないものの、結構、ハードな作業なのだと、改めて大先輩を尊敬いたしました。

沖縄というと、10代後半の夏期休暇には、毎年結構な長逗留をしており、まだ、万座のホテルとかはなくて、唯一リゾートだったムーンビーチのホテルで、FENとは違う、米軍駐留隊員向けの音楽番組があって、それをホテルルームやプライベートビーチでラジオから聴いているのが、とっても幸せでした。

そんな、ラジオからの音楽を期待していたのですが、なにせ最近はカーオーディオの使い方も結構複雑になっていて。

取り敢えず地元のFM放送を聴きながらというシチュエーションで、先ほどの仮説の検証を今後どうやってやっていこうなんていう良い知恵が浮かぶわけもなく、残すところ三社参拝を続行しておりました。

沖縄の町を運転していて、ふたつ気づいたことがあります。

ひとつは大きな交差点でのUターンが難しいこと。
大通りの右折と共に、交差する道路の左折優先が同時に出る道は多く、よってUターンは右折信号になる前にするべし。

ふたつめは、かなり直前まで横道からクルマが出てくること。
東京では事故か喧嘩になる距離でも、しかも一旦停止をしてから出てくるので焦ります。

一日でそういうクルマにもかなり慣れましたが...


⑥安里八幡宮(あさとはちまんぐう)

八幡宮です。
沖縄に八幡さまって、とてつもなく興味があります。
そう、その意味はご祭神ではなくその勧請に関してです。
あ、そういえば源為朝公。ちょっと東国では同じ源氏でも、義家とは同じ列には多分殆どのかたが考えないと思いますが…
そんな参拝に期待しておりましたが、その前にお社の近隣にはまったく駐車スペースがありません。
困っておりましたら、少し下に大きな寺院が。
そこに止めて頂こうと思いましたが、門も閉ざされておりまして、しかし、広いスペースが...なので一時的に拝借させていただきました。

こちらはまるで東京の真ん中にでもあるような、まわりは大きな建物、その一角の住宅街に所狭しと鎮座されておられました。

しかし、残念ながら、扉は閉ざされておりますし、由緒書きもみつかりませんでした。
なにやら、あまり頻繁に参拝されている気配も感じれらません。

さきほども触れましたが、この八幡宮の勧請に関して少しだけ書いておきます。

第6代琉球国王尚徳王の時代に、兵を遣わして喜界島を討伐することになりました。
喜界島は小島でしたが、堅く護って王に従わなかったのです。
この時、村の老人が「王が直々にお出向きになれば、有利になること疑いありません。」
という進言から尚徳王自ら出陣なされました。

出陣の門出に城の麓に水鳥がいましたが、王は矢をつがえ、「今我軍が有利であるならば、この鳥をすみやかに射落とせ」と誓って言うと、一本の矢を地に立て、一本の矢を放ちました。
矢は鳥を射止めたので、王は帆を上げ出航しました。
喜界島へ向かう海路を進みますと、今度は小鐘が海面に浮いてきました。
船人達がこれを得ようと欲すると遠ざかりますが、船の傍らより離れることはなく、王が「この戦に利があるなら霊鐘わが手に入るべし。帰国の後は八幡大菩薩を崇めるべし」と誓って右手を出すと、鐘は簡単に手に入りました。

王は歓喜して輿を造って御座船に勧請し、祭祀をおこないました。
こうして喜界島を手に入れた尚徳王は帰国すると、矢を立てた場所に霊社を建て、浮鐘と神通矢を垂迹として八幡大菩薩と号し奉じました。


この前に参拝した「波上宮」は、第五代尚泰久王が、そしてこちらも尚徳王が。
いずれも琉球王は不思議と日本の神々に精通をされているようです。
そして、八幡宮はまさに全国規模ですね。
さすがに信仰第一位のお社です。
そういえば、淡路の沼島にも鎮座されてました。
こちら、沖縄にもあるなんて…

素晴らしい!!


安里八幡宮
所在地 沖縄県那覇市安里124
主祭神 応神天皇、神功皇后、玉依姫命
社格等 旧無格社
創建 天順年間(1457年 - 1464年)
本殿の様式 入母屋造
札所等 琉球八社
例祭 旧暦9月9日



⑦識名宮(しきなぐう)
それにしても八幡宮はあのような良い場所に、立派な普請だったにも関わらす、拝殿は閉
され、氏神さまという雰囲気も、また沖縄特有の信仰対象という感じもいたしませんでした。

実は、この一日は色々と考える事柄が多く、無論、琉球八社に連なることに関してのみですが、久高島巡礼からの流れだったり、独特の洞窟文化だったり、龍神さま、さらに日本神道との繋がりとお互いの位置関係だったりなど、そして、波上宮で気づかされてしまった、この琉球の本当の神さまなど...

そんな風に色々考えていると(新しい体験が重なると)、最初の方で考えていたことが薄れていってしまうもので、今日の日のことなのに、あれ、朝はなにを問題にしていたっけ?? と。

しかし、それを思い起こしてくださったのが、次に参拝した識名宮でした、

こちらは駐車場がありました(良かった~...)
駐車場から入ったのでいきなり本殿横に。
今日は時間に余裕がないので、こういうこともずっと見落としてましたが、それではやはり神さまにとても失礼なことなので一旦、鳥居のところまで戻りました。


おお、とても良い感じです。
ここから見る景色は日本の神社そのものです。

この識名宮は、尚元王の長男の病気回復に霊験があったので、識名宮を創建したとの記述が「遺老説伝」にあります。

そういえば、存じえなかったのですが、ひとことで「琉球国王」または「琉球王国」と言っておりましたが、色々な家、系統があったのですね。うっかりしておりましたが、これも日本人特有なんだと思います。

世界の国や地域で、一つの系統でこれだけ長く2600年(それはどうかとしても、少なくとも1800年以上)も続いている皇室を頂いている国は日本だけなんですね。だから、ついつい、それを日本以外にも当てはめてしまいます。


時間が夕刻に近づいてきたからでしょうか、多分、近隣の方々がご祈祷に来られました。
丁度、本日巡礼を始めた頃は昼時間の参拝だったのでしょうか、多くの地元の皆様に出会いました。
一日数回来られるのでしょうか??

とても信仰厚い、敬虔な方々ですが、そもそも日本人もそういう民俗でした。
大自然を神と崇め、自身にふりかかることのすべてが神慮なのだと。
そして懸命に毎日、稲作に従事していた。
これこそが日本人なのです。
稲はこさえていなくとも、そんなわたくしたちの原点に返らさせられる姿を、この沖縄で改めて感じさせていただく体験には、まさに感謝しかありません。


台風接近で相変わらず強い風が吹き、ごく稀に突風もありますが、朝方よりもその風が少しずつ冷たく感じられるようになりました。

あ、もう夕方の4時を回っておりました。
大変、あと残り1時間しかありません。
急いで、最後の目的地に急ぐため、駐車場に戻りました。

識名宮
所在地 沖縄県那覇市繁多川4-1-43
主祭神 伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊、午ぬふぁ神、識名権現
社格等 旧無格社
創建 尚元王朝(1556年~1572年)
札所等 琉球八社
例祭 9月15日


⑧末吉宮(すえよしぐう)
地方巡礼の際にレンタカーを利用するようになってから毎回思うことが、カーナビとの相性がよくなって来た頃に、大体クルマを返却する時間になるようです。

そのカーナビに異変が??
最終目的地を入れた途端にボイスメッセージが流れ、3Km先渋滞があることを告げられられました。
まぁ、ここから末吉宮は5Km弱なので、まぁ、大したことはないだろうと思いきや、夕方の大渋滞に巻き込まれました。
さすがにクルマ社会沖縄。土曜日の夕方ですし、最近の東京では味わったことのないような、まだ、関越道が高崎までしか開通していなかった時代のスキーの帰路のような、或いは湘南からの帰りのような... そんな経験でした。

そういう昔取った杵柄で信号の合間に順位を稼いだりとか、T字路右折の回り込みとかを駆使して只管前に進みまして、やっとのことで辿り着いた末吉公園の駐車場に入り、クルマを降りて観た光景は....


あ、あんな上にあるんですね...

地図も...

ネコも... 笑

おまけにここでいよいよ雨が降り出して...
まるで、ドラマ...

しかし、「進むも地獄退くも地獄」とは、
まさにこういうことなのでしょうね...

ということで、本殿が見えるこの場所で二礼二拍一礼の参拝をいたしました。
残念ですが、最後で、「琉球八社巡礼」をしたとは言えない結果になってしまいましたが、

でも、また是非、来年参ります。
そう、来年はもう少ししっかり勉強して、よくわかった上で参ります。

ネコにも約束。

また来年...

末吉宮
所在地 沖縄県那覇市首里末吉町1-8
主祭神 伊弉冉神・速玉男尊・事解男尊
社格等 旧無格社
創建 景泰年間(1450年 - 1457年)
本殿の様式 流造
別名 首里社壇
札所等 琉球八社

例祭 11月23日



ということで、なんというか、ひとりなのに珍道中だった「琉球八社巡礼」でした。


次回、総括いたします。










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