伊勢おかげ参り2017

本年も恒例の神宮おかげ参りに行って参りました。
そもそも、神宮への最初の参拝はいつだったか覚えておりませんが、恒例になったのは、世紀末の1999年。
世界中に終末観が漂っていたことと、同時にグローバルスタンダードが日本経済のビックバン時代到来と共に金融を中心に海外企業が日本経済にも進出攻勢をかけ、そんなことで日本人のアイデンティティーと、それに関連した神道という宗教(学問・体制・構造)の本質を理解し、その上でどうやって日本人は世界の中で重要な位置をしめすのか??
そういうことがとても重要なことなのではないかと勝手に憂いておりました。
たまたま、伊勢・鳥羽にはご縁がありましたし、特に鳥羽というところは小さい市なのですが、とてもパワーのある方が沢山いらして、さらに、その少し先に賢島、志摩になると、また違う魅力があって。
なので、そんな観光が主体ではありました。

その年から、略毎年この12月のお伊勢参りを続けて参りましが、転機があったのは遷宮の三年前。
遷宮の準備とか、儀式とかで、その奉仕をできるかどうか問い合わせを頂きまして...
ただ、日程が平日でしたり、やはり東京からお伺いするには、遷宮までの間に月何日かを費やさなくてはいけないということもあり。
普通にできる体験ではないので、ご奉仕させて頂きたかったのですが、やむを得ず断念しました。
そのことをきっかけに、伊勢の色々な方々とお繋がりになれていまに至っています。

さらに、その頃知り得たのが、「伊勢125社」と、「倭姫命の巡歴」でした。
その辺りから、それまでは、ただ儀礼的に年末に参拝していた伊勢神宮の色々な位置づけや意味合い、また、時、同じくして、個人的な古寺巡礼を中止して神社参拝を開始し、また略同じころに「記紀の検証~日本神話の再編纂」を誰から指示されたわけでもなく、まったく自然に始めさせて頂きました。

なので、その後は、伊勢神宮参拝も平均して年に3~5回に、本年は、これが三度めでした。

筆者のおかげ参りの行路は実はこのコースが幾度も変わっております。
最初は外宮~内宮でした。
そしておかげ横丁で食事をして。
そして宿泊はいつも鳥羽です。
あるとき、恩人ご夫妻とご一緒させて頂いたとき、タクシーで外宮~内宮と周り、そのまま鳥羽に。これは大変楽な方法だと知りまして、翌年は鳥羽への道すがらなので二見にも寄っていただきました。
その後、倭姫宮の話を知ったので、そこにも参拝、さらにここ数年で、月讀宮、そして瀧原宮に参拝してから後は、おかげ参りにもこちらにお参りさせて頂くことになり、基本は、外宮~内宮~月讀宮~倭姫宮~瀧原宮になりました。

この行路で普通に回ると宇治山田から鳥羽まで約4時間30分です。基本、域内の摂社には略すべて参拝します。
しかし、混み具合でも多少かわります。
わたくしの方は毎年12月の第3日曜日の週の土日ですが、伊勢神宮の「月次祭」も12月は16、17日で行われているため、昨年は内宮の正午にあたり、大変混雑していました。本年も丁度月次祭でしたが、土曜日は外宮でしたし、そもそも天気も曇りときどき雨の予報でしたので、昨年よりはスムースで、時間も1時間30分ほど余裕があったので、瀧原宮の次に伊雑宮へも参拝しようという計画をたてました。

前夜にパーティがあったので、のぞみは6時代を避けて7時代に。これで、10時40分に宇治山田駅に着。なぜ宇治山田駅かというと、レンタカーを使うのでその営業所が伊勢市駅からは遠いので。


①豊受大神宮(外宮)

今回はおかげ参りの報告ですので、このお社の詳細に関しては別の機会に書かせて頂きたく存じます。

大体、外宮の駐車場のどこに止められるかで、その日の混雑具合はわかります。
やはり、通常よりは混んでますね。
月次祭なので、観光・参拝客以外に、地元の信仰者もいらっしゃいます。
また、筆者は崇敬会員ですので、御垣内参拝もすぐできますが、やはり歩きが多いので、最初からウォーキングシューズ(御垣内参拝は基本礼装ですが、カジュアルでなければ大体可能です。但し、一番注意されるのは靴です。基本黒靴、またはダーク系の皮靴。一番注意されるのはブーツです)で、御垣内は今年二度お参りさせて頂いているので、今回はパスでした。

しかし、今年はとても寒いです。

大体、おかげ参りというと晴天の日が多く、また冬なのに割と暖かくというパターンが多いのですが、やはり今年はラニーニャ現象の影響で偏西風が直撃しているのでしょうか。東京もここ数日はとても寒いのですが、この中部地区や紀伊半島はそれ以上のようです。

外宮は駐車場の関係もあって、正面からは入らず、北御門から入りました。
ここから正宮に行く間に御厩がありますが、今日は月次祭なので神馬はいるかなぁと微妙でしたが、やは不在でした。残念。

外宮の基本的な参拝順に沿ってお参りしました。

正宮 (主祭神:豊受大御神)

三つ石を通って...
(ここはパワーを頂けるらしいのですが... わたくしには関係なく。たまに妙なパフォーマンスしているひとを見かけます。今日はいらっしゃいませんでしたが...)

別宮多賀宮  (祭神:豊受大御神荒魂)
こちらは豊受大御神の「荒魂(あらみたま)」です。
先ほどの正宮は和魂(にぎみたま)です。
これは、のちほど内宮のところで説明いたします。

下御井神社によって... (これ大事なポイントです)
丁度、多賀宮から階段を降りてきて、正面に土宮がありますが、その左に曲がったところの奥にあります。
以前は殆どのかたが参拝されませんでしたが、ここは大事です。

下御井神社(しものみいのじんじゃ)、下という名称からおわかり頂ける通り、上があります。ではその上御井神社(かみのみいのじんじゃ)はどこにあるかというと、同じ外宮の域内にありますが、ここには一般のかたは立ち入りできません。なぜかというととても重要なところだからです。名称から察せられるようにここは神宮の「井戸」です。

今回はおかげ参りだけなので、余計なことは書きませんといいましたが、ここへ少し触れさせていただきますと、そもそも豊受の神さまはなにかというと、内宮のアマテラスさまのお食事を司っている神さまです。勿論、それだけではなく、アマテラスさまのs食事を作られるということはわたくしたち国民にとりましても、最高の食べ物の神さまです。その神さまのお社の「井戸」、すなわち水源です。この下御井神社は、万が一、上御井神社が枯れたときの予備として設けられておりますが、ですからこそ、とても大事な神さまです。わたくしたちは日本の食の神さまに感謝すると同じく、その神さまが調理でお遣いの井戸にも感謝することが大事です。ここは生かされるために必要な水を司っていらっしゃる神さまです。

別宮風宮 (祭神:級長津彦命・級長戸辺命)

別宮土宮 (祭神:大土乃御祖神)

神楽殿にてバッグ用の御守りを授かりました。
今回は内宮ではなくこちらの御守りにしました。


②皇大神宮(内宮)

さて、内宮へ移動。クルマだとすぐ近くなのですが、実は「駐車場」がネックなのです。内宮の鳥居、つまり宇治橋に近いところはすぐ一杯になってしまいます。この日も既に「満車」で30分待ち。基本的に待つこと、並ぶこと、遅れることが大嫌いなので、近隣(大概は五十鈴川の川岸とその周辺になります)の「空有」に。但し、結構歩きますが、これは良い運動になりますので。
そしておかげ横丁経由で内宮に参りました。


宇治橋をわたり、しばし徒歩、そして五十鈴川で手洗います。
冷たいです。
皇大神宮も順路がありますが、これは結構、伊勢の方々でも、その順番は区々です。

ですが、外宮の下御井神社のように、通や地元の方々でないと見過ごしてしまうポイントがこちらです。

瀧祭神 (祭神:瀧祭大神)
ここは五十鈴川の守り神さまだと伝えられています。
そして地域住民の方々からは「おとりつぎさん」として親しまれます。正宮に詣でる前に滝祭神を参拝すると、天照大御神に願い事を取り次いでくれると言われています。まぁ、神社はそもそもお願いするとことではありませんが、わたくしはそれよりもこの五十鈴川の神さまというところに惹かれます。それは、そもそもが遷座してこの地にお留まりになられました、その経緯の方が興味があるのですね。つまり、この神さまとアマテラスさまの特別な関係。その関係があるから、地元の方々にはそんな伝承が残されているmのでしょうね。ここも、一度探求したいと思います。

そして、正宮より先にこちらに参拝。


別宮風日祈宮 (祭神: 級長津彦命 、級長戸辺命)

やはり、参拝だけとはいえ、色々書いてしまいますね、すみません。
ここ、大事なのでひとことだけ。実は外宮にも「風宮」がありまして、しかもお祀りされている神さまも同じ、級長津彦命、級長戸辺命です。実はこちらには「日」と「祈」という字が入っていますね。何故でしょう。
実は、ここ元寇の際に神風を興した神さまだと言われているのですね。

ところで、外宮と同じように、内宮にも順路があります。基本は正宮が先なのでしょうが、こちらを先に回るかたも結構多いのです。一応、内宮としての順路は正宮が先ですが、外宮のように別宮が一箇所にまとまっていなく離ればなれになっていることから古距離的に効率よく巡る(そもそも地元の方は頻繁にこられますから)と、川の神の次は風の神さまと考えるかたもおられます。また、正宮、荒祭宮のあとに来られるかたの多くは(特に、よくご存じの方は)、ここは内宮とは「別宮」と考えられています。その理由はここは五十鈴川が間にながれ、ここに係る橋は「風日祈宮橋」とも「五十鈴川御橋」ともいわれていますが、「宇治橋」に例える方もあり、「内宮に準ずる」という位置づけを重んじておられるからです。お社も他の別宮よりも屋根が正宮と同じ形態です。

やはり元寇から国を守った「守り神」の効果は今日にまで語り継がれ、崇敬されています。

さて、この辺りから、外宮境内では然程感じなかったのですが、徐々に参拝者が増えてきた気配がしました。

正宮 (主祭神:天照坐皇大御神=天照大御神)

鳥居の先は写真撮影ができませんので、いつもここか撮りますが、初詣のように階段が人でいっぱいにはなっていないものの、やはりこれは相当、時間がかかりそうです。

別宮荒祭宮 (祭神:天照坐皇大御神荒御魂)
こちらは、外宮でも鎮座されていましたが、正宮の和魂に対する荒魂です。

神さまにも人間と同じように(神さまに人間と同じは失礼ですよね。だから人間もそのようになったのですね。が、良いのか??)、「優しく平和的な、仁愛、謙遜な側面」と、「荒々しく(荒ぶる)、勇猛果断、義侠強忍な側面」の両面があり、前者を和魂(にぎみたま)、後者を荒魂(あらみたま)と呼んでいます。さらに前者は幸魂(さきみたまー運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働き)と奇魂(くしみたまー奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表す)に分けられ(そう考えていないところも多い)、この四つは並列だと言われています。

実は「片参り」という言葉があります。これは良く、お伊勢参りで「内宮と外宮」を両方お参りしないで片方だけだとご利益がない。などど言われていたりすることをお聞きになったことがあるかもしれませんが、それは大きな間違いです。

大体、神社に「ご利益」なんて求めてはいけません。神社は祈願と感謝、その祈願とは五穀豊穣、感謝は収穫感謝です。それ以外はありません。ここは間違えないでください。基本は「いまここにあることの感謝」初詣も「新しい年を迎えたことへの感謝」です。

横道に逸れました...
「片参り」の正しくは、和魂に参拝したら、必ず荒魂にも参拝するということです。これが、荒魂を欠いてしまうと、荒魂は新魂にも通じており、新しいことを為すことのエネルギーにも繋がりません。
但し、このように和魂と荒魂が分かれて祀られているところは然程多くはなく、お伊勢さまにはこういうお宮が多いので、さきほどの「片参り」という間違った解釈に繋がっています。

もっと分かりやすい例は幾つもあるのですが、また、別の記事に書きましょう。
今回、ここでこの話を書いたのは、如何に、正宮を参拝したかたが、内宮でも外宮でも、この荒魂に参拝されていないか、その数の多さに驚きました。まったく意味がないとは申しませんが、例えば仏様だって役割があって、薬師如来さまにお金持ちになりたいって祈願したって、それは如来さまの分野ではありませんから「お金とは何ぞや??」で終わりでしょう。それと似ていて感謝になりませんし、次の力も頂けません。
是非、お気をつけください。
(併せて、お札を頂くときも、荒宮の祈祷大麻を置いてあるところは一緒に揃えてください。内宮、外宮はありませんが、この後の月讀宮、瀧原宮はお宮だけでなく、お札も両方置いてありますので神棚にお納めの際は、両方重ねてお祀りしてください。それこそ毎日のことなので...)。


③月讀宮

内宮で予定よりも時間がかかってしまいました。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、外宮の別宮にも「月夜見宮」と言って、こちらと同じ、ツクヨミさまをお祀りしているお社があります。しかし、わたくしはいつもこちらだけです。
ツクヨミさまは三貴神の二番目、イザナキさまが禊で、左に続いて右の目を洗ったときに誕生された、アマテラスさまとスサノオさまの間に生まれた神さまです。性別は分かりません。
また、とても不思議なことに、こちらには、父神であるイザナキさまと母神であるイザナミさまも一緒にお祀りされていて、また、ツクヨミさまの「荒魂」のお社と、四社が並んでいる、伊勢神宮では大変珍しい配置になっています。
日本史の正史である「日本書記」には、三貴子は、イザナミさまから生まれたという記述(但し、他の説の記述もあります、日本書記とはそういう書物です)がありますが、一方、フィクションである古事記では、そうではなくイザナキさまの禊説だけを取っていて、ここにも古事記の狙いがよく分かります。

そしてこちらでは参拝の順番も決まっています。

別宮月讀宮 (祭神:月讀尊)
別宮月讀荒御魂宮 (祭神:月讀尊荒御魂)


別宮伊佐奈岐宮 (祭神:伊弉諾尊)
別宮伊佐奈弥宮 (祭神:伊弉冉尊)

さて、以外に忘れてしまうかたも多いのですが、この別宮域内には内宮の末社が鎮座しています。
月讀宮裏参道入口脇なので、ついつい見落とすかたも多いのですが...

末社葭原神社 (祭神:佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比売命)
この三神はいずれも、田畑の守護神で五穀豊穣の神とされています。
ウカノミタマさまは伏見稲荷大社の主祭神としても有名ですよね。
ですが、この伊勢では寧ろ、「日本書紀」の、神産みの第六の一書(本編には記載がない)において、イザナキさまとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしていて、飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられています。但しこれは「古事記」にはなく、こちらではスサノオさまの子として出てきますが、ここに祀られいるということは、位置的にも外宮と、内宮を繋ぐラインなのでしょうか??
トヨウケさまの補佐をされるという位置づけもあって、この位置にいらっしゃると考えるととても腑に落ちます。

またこの末社に域内にあるクスノキは、(こういう言い方は嫌いですが)相当なパワースポットでしょう。


④倭姫宮

月讀宮を出て割と近くにあるのが次の目的地倭姫宮です。
ここも内宮の別宮ですが、この辺りのお社は、伊勢神宮125社参拝の分類によると「五十鈴川めぐり」というところにカテゴライズされるようです。
月讀宮と同じく、駐車場が裏参道方面にあるので、クルマで坂を上がって行きました。

ここは駐車場の枠が少ないのですが、運よく止められました。
冒頭にも書きましたが、倭姫宮への参拝は比較的早い時期から初めています。
第62回式年遷宮が開始されたのが平成17年で、その直後から参拝していますのでそろそろ10年になるので早いですね。

別宮倭姫宮 (祭神:倭姫命)

倭姫命さまは、そのご生涯の殆どを天照大御神さまのの遷座に費やされました。
しかし、その功績を讃えるかたはいらしても、倭姫命さまのお社をこの伊勢の地に普請しようというかたは長いこと現れませんでしたが、明治になってから宇治山田町の住民を中心に、倭姫命を祀る神社を創立すべきという声が高まり、その結果、帝国議会で創立の予算が可決され、大正10年には内宮別宮としての創立が決定しました。

倭姫命さまに関しては、また別の機会にお話しさせて頂きます。



⑤瀧原宮さて、略、内宮、外宮周辺のお社の参拝は終え、いよいよここからはちょっと長めのドライブです。このためにレンタカーを利用している訳ですので...倭姫宮から、約35分の道のりで、この度会郡に到着しました。

今年3回の伊勢訪問では毎回ここには参拝いたしております。
こちらは元伊勢、或いは遥宮と言われています。
と、申しますか、内宮も外宮も確かに美しいのですが、如何せんひとが多いのです。
しかし、こちらは違います。
最近は道の駅が出来て人も来易くなりましたが、それでも地元の方が多いようです。

そしてこちらが、自然の手洗い...
今冬は川の水がかなり少ないですね。
水の量とお天気でやはり景色が違います。

別宮瀧原宮 (祭神:天照坐皇大御神 )
別宮瀧原竝宮 (祭神:天照坐皇大御神荒御魂)

こちらも和魂と荒魂が並んでおります。

瀧原宮所管社 若宮神社(祭神:若宮神)

瀧原宮所管社長由介神社:長由介神)
同座 瀧原宮所管社川島神社(祭神:川島神かわしまじんじゃ)

遷宮前のお宮あと。

その姿も美しい。

ここは、いま、筆者が地球上で一番好きな場所です。
今年もこちらに来られて良かった。
ここに参拝することが出来て本当に良かった。

瀧原宮を存じ上げる前は、一年の最後は二見でしたが、やはり、ここが一年を締め括るのには一番良いと思います。

心から、大自然、大宇宙に。そして今ここにあることに感謝できるからです。
おかげ参りで心が満たされるようになったのは、昨年と今年。
それは、やはりこちらが最後だからなのだと思います。

※実は、この後に伊雑宮へ参拝の予定だったのですが、内宮で予定よりかなり時間が係ったことと、また、前述のように、ここで満たされてしまって、この余韻に浸っていたくなり、本年も瀧原宮を参拝の最後にすることにしました。

伊雑宮も大事なところですが、志摩なのでちょっと遠く、本年は一度もお参りできませんでした。

来年は必ずどこかで...

ありがとうございました。



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