佐美長神社(さみながじんじゃ) ~春のお伊勢参り②~

そんなに気にしたことはないのですが、世の中の色々なものには「セット」になっているものが数多く存在します。

セットというと少し俗っぽい言い方になってしまうかもしれませんが、「表裏」というのは少し違うので。

良い例がなかなか思い浮かばないのですが、例えば「夫婦」です。
夫婦というのは、なにかと世間では「対」で考えられます。
〇〇さんの奥さま、〇〇さんの旦那さま。
賀状も連名できます。
筆者の頂く賀状も、半分以上は「連名」で、不思議と多いのが、家内には面識のない方でも、なぜか、家内の名前が併記されています。この場合逆は少ないです。つまり家内の友人や仕事関係の方々(わたくしの面識のない)から頂く賀状で、わたくしの名前が書かれているものはありません。

また、不思議なのは、よくわたくしの名前があり、その左側に「令夫人」「ご令室」という表記はあっても、家内の名前で来て、その左側に「ご主人」「ご夫君」という表記は皆無です(あ、ちょっと脱線しました... って、いつもか 笑)


神さまの世界でも、日本の最初の神様、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまはおひとり神さまでした。
造化三神、或いは別天津神(ことあまつかみ)は、最初に現れた際には、いずれもおひとり神でした。
ただ、独神さまというのは性別をお持ちにならないということで、逆の言い方をすれば、両性具有という言い方もできます。

その後の「神世七代」の三番目にはじめて、宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)の一対の神さまが登場されました。その4代あとが、イザナキさま、イザナミさまになります。
※注 上記の神さまの記載はすべて古事記を元に書いています。日本書記は少し違います。


神社、お宮についても、この「対」あるいは「鼎」さらにいえばグループという考え方で括られているものも多くあります。
その多くは神話に基づいているものかと思いきや、そうでないものの方が多いようです。


さて、前回の続きですが、伊雜宮に関連しているのがこの佐美長神社、並びに佐美長御前神社なのです。

面白いもので、この佐美長神社をより理解すると、伊雜宮が「遥宮」であり、また、伊勢神宮別宮でも高い位置にあることがたいへんよく分かります。
ということで、佐美長神社に参拝させていただきました。


〇穂落伝承のおやしろ


こちらへの参拝は3回目です。
いずれも、伊雜宮と「セット」です。
セットにしないと「片参り」になってしまうと勝手に思っています。

最初は、こちらにとてもご縁の深いかたにお連れいただきました。
そのときは素晴らしい氣に満ち溢れておりました。
丘の上にありますが、四方を木に囲まれておりますので、全く外の気配はありません。
静寂で、俗世間から隔離された空間でした。

恐らく、お連れのかたは神饌を受けられていたのでしょう。
勿論、わたくしにはなにもありません(凡人ですので)でしたが、この場所では、心が整うことがよくわかりました。

そして今回。

こちらが鳥居です。
ここはなかなかご存じのかたでないと見過ごしてしまう場所にあります。

伊雜宮から約800メートルの距離で、しかも両宮を結ぶ道は「御幸道(ごこうみち)」と呼ばれています。
え?? 伊勢の内宮と外宮を繋ぐ御幸道路(みゆきどうろ)に似てますね。
やはり、この両宮は特別な関係にあることが分かります。

前述しましたが、少し高いところにあるので石段を登ります。

この石段は36段あり、1段を1旬として、段で36旬、すなわち1年(=大歳)を表すと言う説が「磯部郷土史」で唱えられているます。

そう、こちらの主祭神は大歳神(おおとしがみ)さまでいらっしゃいます。
そもそもは「大歳宮(おおとしのみや)」という名称だったそうです。

さて、階段を上がっているとなんだか騒々しい音がしておりまして、電気音のようで、よく工事現場で聴こえるような...
ところが、階段を登りきってお宮の方に歩くと、そこでは清掃のかたがおおきな掃除機のようなものでお宮の回りを清掃されておられました。
わたくしと目があうと、お互いに会釈をいたしましたが、清掃のかたは機械の音は止めることなく、そのまま、ちょっと離れて清掃を続けられ(そうですよね、あちらはお仕事かご奉仕でしょうから...)、少しその音は気になりましたが、そのまま佐美長神社に唱えことばを奏上させていただきました。

そもそもこのお社のことを教わったのは、先の遷宮の直後に、佐美長神社に縁のあるかたから神社の謂れをうかがったことです。

それが、「穂落伝承」です。

佐美長神社の創建にまつわる伝承であり、『倭姫命世記』に次のように記されています。

垂仁天皇27年9月、倭姫命一行が志摩国を巡幸中、1羽の真名鶴がしきりに鳴いているところに遭遇した。倭姫命は「ただごとならず」と言い、大幡主命と舎人紀麻良を派遣して様子を見に行かせた。すると稲が豊かに実る田を発見、もう1羽の真名鶴は稲をくわえていた(「くわえて飛んできてその稲を落とした」とも)。倭姫命は「物言わぬ鳥すら田を作り、天照大神に奉る」と感激し、伊佐波登美神に命じて抜穂(ぬいぼ)に抜かせ、天照大神に奉った。その稲の生育していた田を「千田」(ちだ)と名付け、その傍らに神社を建立した。これが伊雑宮であり、真名鶴を「大歳神」として祀ったのが佐美長神社である。


この真名鶴をご覧になったかたもいらっしゃいます。
勿論、特別な力をお持ちのかたです。
ですが、このお社に来ると、真名鶴に会えるような気がしてなりません。
それが、不思議なことでなく、とても自然に感じられる空間だからです。

こころが洗われる参拝ができました。

そして今回、一番興味(参拝に興味なんていってはいけませんが、なにしろ凡人なもので)の大きかった、佐美長御前神社に。

すると、清掃のかたが、急に機械を止められ、どうやら、境内から出て行かれたようでした(わたしは背中を向けていたのでその動きはわかりませんが、まったくひとの気配がなくなりました)。そして自然と静寂が舞い戻り、穏やかな風がお宮じゅうに流れ始めました。


以前からたいへん不思議だったのが、この伊勢神宮125社には、スサノオさまを祀っているお宮がひとつもないことなんです。

古事記においては三貴子の一番下の弟、そして、アマテラスさまは勿論のこと、ツクヨミさま、さらにはイザナキ・イザナミさまを祀っている神社があるのに、どうしてスサノオさまだけが祀られていないのか??

そして、実はその謎を解く鍵が、この佐美長御前神社にあるという情報を掴んできていたのですが....



さっぱりわかりませんでした...



しかし、よく考えてみると、次のような観点から考えてみたらどうかと思いました。

①スサノオは「大海原を治めるように」イザナキさまから命じられた。
ツクヨミは「月=夜を支配」ではなく、「月=暦を管轄」している神様。
③伊雜宮と佐美長神社はセットである。

①スサノオさまは三貴子の末子として、「海原を治めるよう」に言われました。しかし、なぜか、その後、スサノオさまが泣いてばかりいるために国土(大地)が荒廃したと記述されています。これは日本が「海から恩恵を授かっている」ことの表記だと考えられます。まだ、このときに古事記として「稲」とか「農耕」という考えは盛り込まれていない。というか、それらは渡来したものであって、それは「海洋国家」であった裏付けであることが重要です。

②ツクヨミさまはとても理解が難しい神様です。そもそも男女の別もわかりません。夜の国を治めるということと、お名前が「月」なので。ですが、月を読むとは、暦の管理です。そう考えると、「歳神」と同じお役目を持っておられるとも考えられます。

③ ①②のことから、逆論法になってしまいますが、佐美長神社は、ツクヨミさまのお宮というように拡大解釈してみると。これは内宮にも外宮にもある、「正宮」と「ツクヨミの宮」という関係が出てきます。これが伊雜宮と佐美長神社の関係です。


さて、問題はここからなんですが...


伊雜宮の「レイライン」については興味深いものがあります。

古代遺跡の位置取りで見ると、伊勢の内宮よりも、この伊雜宮が如何に基点に存在しているかがわかります。
そしてその中でも、今回特に強調したいのが、この伊雜宮と内宮を繋いだ延長上にあるのが斎宮、さらに丹後の真名井神社です。

この真名井神社とは、元伊勢のひとつである、籠神社の奥宮にあたります。

パワースポットブームですが、特にその中でも人気なのがこの真名井神社です。
筆者はそういうことに興味がありませんが、それよりもやはり気になるのはこの「真名井」という名称、これは「天の真名井」なのですね。

天の真名井と聴いてピンと来るかたは余程の古事記通だと思いますが、そう、これは、アマテラスさまとスサノオさまの「誓約」の際に各々の持ち物を清められたのが「天の真名井」なのですね。



ここからは全くの想像に過ぎませんが、伊雜宮にだけ唯一スサノオさまの痕跡を残したのではないかと。

いや、言い方が違いました。

そもそも、皇祖神を伊勢に巡幸される以前に鎮座されていた強力な支配力は、出雲、もしくは出雲とはまた別のスサノオ系だったことが予想されます。例えば、猿田彦さまのそのおひとりだったのだと。なので、猿田彦さまは伊勢にも足跡を残されましたが、神宮125社とは全く別の扱いですし、それよりも遠く鈴鹿の「椿大神社」におしずまりです。

倭姫命の巡幸と、天孫降臨以降の神話、さらに、その後に編纂された古事記はかなり密接な関係性が浮き彫りになってきますが、今回は、伊勢参りの参拝紀行なので、このくらいにしておきますが、恐らく、筆者が感じる伊雜宮での力強さには、そもそも伊勢にはなかった、それはとても短絡的にいえば、スサノオさまなんだと思っています。


佐美長神社に参拝させていただくことで、伊雜宮の不思議に少し近づけたと思います。

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