豊受大神宮/外宮(とようけだいじんぐう/げくう) ~春のお伊勢参り③~

そういえば、このブログで伊勢神宮の参拝紀行は色々な形で何度か取り上げておりますが、皇大神宮も豊受大神宮も、それだけを取り上げたことはなかったですね。

それには理由がありまして、それはそれは長くなってしまうと思うからです。

そもそもこの「参拝紀行」というカテゴリーを考案したのは、記紀の中に出てくる神さまがたが、どちらにお祀りされているかという補足的な内容を考えておりました。記紀本文の解説に当たる「古代史の雑学」も、ワンポイント解説の積りでした。

筆者は著述の傍らで、よくセミナーもやっておりました。

というか、どちらかというと前座でして、企業が所謂、CIや、IR活動を盛んに行いだした際に、それを企業戦略としてどう取り入れるかという内容が多くて、昔取った杵柄とはよく言ったもので、その関係でいまでも年に数回は講演依頼もあって、ボランティアでやってます。

そういう内容って、実はそんなにひとつの話題を深く取り下げなくても聴いてくださるし、やはりそういうところに来られる方は時事ネタが結構お好きなので、言い方は悪いのですが、こちらもあまり丁寧に説明しないのです。

ところが、このブログを書いていることもあって、歴史関係とか、最近では神話を題材(こちらもワンポイントですが)にすることもありますが、実は、そういう内容って、結構知識に個人差がありまして、自分では結構丁寧に説明している積りでも、全く理解されないことが多いのですね。

なので、そうか、人というのは、こちらの話していることの10%も理解していない(なんかそんなタイトルの新書本があったような?)のだと思うようになり、そういうことは丁寧に話すようになってきたのです。
実は、それが、このブログの文章にも影響してきたというのが、実際のところなのであります。

特にこの「参拝紀行」というのは、その動機が結構自分でも大事なことで、しかも、ここ数年は、自分で全く勝手に決めていたのが、後できちんと説明できているという「必然」。
筆者が「必然」を強調し、そして更に理解するようになったのも、この神社参拝を積極的に初めた時期が不思議と一致しております。

なので、必要以上に丁寧に書いているつもりではおります。
というか、正しくは必要以上に「長い」のかもしれませんね。

今回は少しだけ、豊受大神宮に関して書こうかと思いました。
「伊勢おかげ参り2017」では外宮全体的なことに触れています。

〇豊受大神宮とは

そもそも豊受大神宮とはどういうお宮なのでしょうか??

まず、根本的に違うことは、こちらは伊勢神宮の巡幸とは関係がないということです。

皇大神宮の方は、もともとは宮中に天照大御神をお祀りされておりましたが、崇神天皇の時代に、宮中に倭大国魂神と共に脅威とされて出されてしまいました。

しかし、もともと宮中になぜ天照大御神をお祀りすることになったのかは、余り明解な理由が見当たりません。

皇祖神ということに関しても同じような見解です。

但し、最高神という意味では、太陽神でいらっしゃるので、それは世界の古代神話を紐解いてみても、その上に大宇宙神的な存在がなければ、強ち間違いではありません。

豊受大神宮の設立は、皇大神宮の約500年後だといわれています。

記紀にはまったく表記がありませんが、804年(延暦23年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』にりますと、「雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるようにと神託した」と書かれております。

この神託を受けて「雄略天皇22年7月7日、内宮に近い『伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原』の地に豊受大御神を迎えて祀った。外宮の鎮座は内宮の鎮座から484年後のことであるという」という記述があります。
この等由気大神(とようけのおおかみ)はトヨウケビメさまのことです。

トヨウケビメさまとは、イザナミさまの尿からお生まれになった和久産巣日神(ワクムスビ)さまのお子神さまです。
但し、トヨウケビメさまは天孫降臨の折にニニギさまに従って下り、その後は度会の地に鎮座されたと、古事記には記されています。

先ほどの484年という数字も、天皇在位という点から考えるとちょっとおかしな数字ですが、その辺りは、神話や古代文書と歴史の整合性という点ではちょっと難しいことなので、スルーいたしました。

大事なことは、天照大御神の希望に沿って、食事担当として呼び寄せられたということで、これは、如何に、日本という国が食に豊かな土壌でその恩恵を授かっているか、また、その恩恵に感謝するために、日本で最高の社の一方に、その神さまを鎮座させているかということなのでしょうね。

そんなこともあって、実はわたくしが外宮の参拝でとても大事にしているのが、こちらです。

下御井神社(しものみいのじんじゃ)です。

※次の参拝のかたがお待ちでしたので撮影できず。伊勢神宮のウェブサイトから拝借いたしました。ありがとうございました。


昨年末、おかげ参りの記事にも書かせて頂きましたが、筆者が外宮に於いては、正宮、多賀宮(豊受さまの荒魂)の次に大事にしているお宮です。以前は(恐らく...地元のかただけだと思います)ほとんどお参りするひとを見かけなかったのですが、最近は伊勢神宮のことを学んでいらっしゃる方が多いのでしょうか、参拝の際に少し並んだりします。流石にボランティアガイドさんや観光バスの旗振りさんはこちらには参りませんのでちょっと安心いたしました。

前述いたしましたように、豊受大神宮はアマテラスさまのお食事を司っている神さまです。

現在でも、日別朝夕大御饌祭(朝と夕の二度、外宮の御饌殿で御飯、御水、御塩などを天照大御神に奉り「国安かれ、民安かれ」との祈りと感謝を捧げるお祭りで、外宮の御鎮座以来、約1500年間つづけられています)の御水を頂く上御井神社の井戸が枯れたときのためにこちらは用意されています。

御饌殿は正宮に隣接しているため、また上御井神社にも一般の方は立ち入りできません。そんなこともあって、一番身近にアマテラスさまの食事と、日々のわたくしたちの食と水に感謝をする場所はこちらです。

そういう訳で、こちらへのお参りは欠かしません。

年に何度か伊勢参拝をしておりますが、実はそのときどきによって目的(といっても祈願はありません。感謝です)が違うこともあったり、また、不思議と伊勢神宮は呼ばれている気がしており(気のせいかもしれません。凡人なので...)、その際に外宮への参拝は遙拝で済ましてしまうことも多々あります。

あ、遙拝は絶対にいたします。
どんなときでも。
必ずなるべく近くから。

ですので、多分、近い将来、恐らく夏までの間に外宮にはきちんと正式参拝させて頂くことになると思いますので、是非、そのときに豊受大神宮の記事を書きたいと思います。



大極からの無限の光が溢れておりました。






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