月讀宮 (つきよみのみや) ~春のお伊勢参り⑨~

以前にある講演会でお話したことがありますが、日本人の聖地と言われるところは次の場所だと思います。

伊勢、高千穂、熊野、大和、出雲。

この順番は筆者的には大事です。
さらに、あげるとすれば、比叡山と高野山です。

上記七か所は日本人の聖地です。
熊野には「吉野」が入ります。
大和には一部「奈良」も入ります。
聖地とは「心のふるさと」でもあります。
そういう意味で、比叡山と高野山を含めました。

先の遷宮がきっかけで伊勢には年に数回巡礼させていただくようになりましたが、その一方で、昨年数年ぶりに大和へは行かれましたが、高千穂、熊野、出雲には長いことご無沙汰してしまいました。

ですが、今回の伊勢巡礼で、明確に行くべき場所が示されました。

それは大きくいうと3つの目的があります。

その辺りは、この「参拝紀行」でも、徐々に書いていく予定です。
あ、これ、勿体ぶっているのではなく、手探り状態だからです。
昨年10月の「岩代の国参拝」と同じで、辿りつかないと本当の意味がわからないからです。
そのあたりは凡人なので、明確な天の意思を受け取っている訳ではありませんので...
ロープレゲームのような人生です... 笑

しかし、ここでは顕かに意思を受け取りました。
それがこの月讀宮です。

実は、今回、青山和加さんの「伊勢を楽しむ旅」でこちらへの参拝は予定されていませんでした。
なので、前日、外宮別宮の月夜見宮に参拝した際に、時間があれば飛んできたかったのですが断念しましたが、まさか、今回参拝に行かれるとは??

とても幸運でしたし、実はそうなると良いなぁと思っておりましたので、まさに「念願が叶い」ました。

そのくらいわたくしには重要な場所でもあります。



〇月讀宮・月讀荒魂宮


ツクヨミさまに関しては色々なところで書いておりますので、基本的なことは省略します。

ご由緒は定かではありませんが、桓武天皇の804年(延暦23年)の大神宮儀式帳に「月讀宮一院、正殿四区」で、一囲の瑞垣内に祀られていたと記録されており、別宮4社あわせて「月讀宮」と呼ばれていたようです。

その後、清和天皇の867年(貞観9年)に伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮の宮号が与えられました。

醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式によれば、この時代には伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮に瑞垣をめぐらし一院とし、月讀宮と月讀荒御魂宮が同様に一院となっていたとされております。そして1873年(明治6年)になって、4社とも個別の瑞垣を持つ現在の形になりました。

外宮月夜見宮のところでも少し触れましたが、月夜見宮のほうは、そもそもこの地域にあった神さまとなんらかのかたちで合祀(というより合体)させた感じがいたしましたのと、創建に関していえば、月夜見宮は醍醐天皇の927年(延長5年)の延喜式では外宮摂社の首位とされているのが最古の記録のようです。そのほかの記載では、『止由気宮儀式帳』では「月讀神社」、『延喜式神名帳』では「月夜見神社」、『伊勢大神宮式』では「月夜見社」というようになっております。承元4年(1210年)に別宮に昇格しています。


このような史実においては、伊勢神宮に於けるツクヨミさまの正統なお社はこちらの月讀宮のようですが、そもそも、内宮と外宮は同時期に成立したものではなく、お伊勢参詣というものが定着するもっと以前の位置関係はそんなに簡単明瞭なものではありませんでしたから、この辺りそんなに簡単に言ってはいけないと思います。

前日、月夜見宮で「月讀宮」とは全く別の印象を受けました。ですので、早い段階でそれを自身で確かめたかったのですが、それは字の如くという感じがしました。


つまり、「月読み」と、「月夜見」です。


ツクヨミさまと姉神アマテラスさまの関係は色々このブログでもご紹介しました。
そこから推するに、「月読み」は、まさに暦の神さまで、「月夜見」は月の神さまです。

一般的にツクヨミさまは前者です。
しかし、日本書紀では、ツクヨミさまが食の神さまであるウケモチさまを殺めたことでアマテラスさまの逆鱗に触れ、それぞれの世界を分けた、そのことによってアマテラスさまは太陽の出ている日中、ツクヨミさまは月の出ている夜をそれぞれ統治されるように役割を変えました(この話、古事記では、ツクヨミさまではなくスサノオさま、殺められた方はウケモチさまでなくオオゲツヒメ。しかし、ウケモチもオオゲツヒメもいずれもトヨウケさまに関係があります)。

ツクヨミさまは、夜警のような神さまでしょうか?

しかし、これが大事で、筆者が月夜見宮で最初に受けた印象でした。
そう、あのご神木から「月を見たら美しいだろうな」という印象です。
そしてそれは少なくとも、こちらの月讀宮では、全く抱いたことのない印象でしたので…

ところで、ツクヨミさまが、この皇大神宮からわずか2km以内の場所に、荒祭宮に継ぐ順位の別宮として祀られているのには、やはり理由があります。それは、スサノオさまを排除し、且つ、トヨウケさまを殺めたことを許しておいでなのです。

その決定的な理由が、荒魂を別の社で祀っているということです。しかも、並列しております。これは瀧原宮と同じです。

そして、さらに大事なことは、その反対側に、父神、母神が祀られているという配置なのです。



〇伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮

イザナキさま、イザナミさまが祭神のお社は、伊勢神宮の中でもここにしかありません。

実は、これには逸話もありまして、神宮が建立されたのに、その父神、母神を祀っていないということで、8世紀に伊勢に暴風雨が起こったという話もありますが、これは定かではありません。


「伊勢おかげ参り2017」でも書きましたように、こちらはお詣りする順番が決まっております。

先の遷宮の翌年がこのお社の最初の参拝でした。

その以前からずっと気になっていたお社でしたが、中々機会がありませんせんでした。
そして最初にここに訪れたときに、正直、この配置には驚きました。


横に四つのお社が並んでいる。


とても不思議な光景でした。

そして次の瞬間、どうして、このツクヨミさまと共に、イザナキさまとイザナミさまがご鎮座されているのかが妙に不思議でした。

それは、筆者には神話の知識しかないからです。
しかもその神話にも、三貴神のなかでももっとも表記の少ないツクヨミさまと、古事記では父神であるイザナキさまと、日本書紀には母神だちいう表記もあるが、本来はスサノオさまの方が近しい仲ではないかと思われるイザナミさま。この並びは不思議でした。

また、荒魂宮を備えていて、更に並列しているというのは瀧原宮とこちらだけなのです。

ここは特別な空間なんだと思いました。

そして、こちらを去ろうとしたときに、わたくしは神社においては初めて、おしらせを頂きました。


ご神託でしょうか。

それは、わたくしに

「神のやかたを造りなさい」

と、そういう言葉に受け取りました。

「造りなさい」というのは、建立なのか、探しだすのか??
また神とは、アマテラスさまなのか、別の神さまなのか??
そのあたりは、まだわかりません。

ですが、これが最初でした。

その次が瀧原宮でした。

それ以降はありません。


ですが、これだけは確かなのですが、筆者の神社参拝紀行において、明確に次の場所を指定されたり、或いは、よくわかりませんが気の向くままに尋ねたところが実は行くべきだったところだという実証など、それらのはじまりは間違いなくこのお社で、同時に、この時から、自分の第三の眼(この言い方が正しいかどうかはわかりませんが)がしっかり見開いたのでした。

そんな、筆者にとっては伊勢でもとても大事なところです。

そして、今回、とてもよく分かったことは、外宮の月夜見宮では感じなかった優しさを、この日もとても感じたのですが、それは、月讀宮ではなく、伊佐奈弥宮なのでした。最後にここに参拝した際に、急にそれを感じました。そうなのですね、いつも一番最後にお参りするお宮なので、その印象がずっと残っているのですね。

しっかりと分かりました。

そういう意味では、この日、最初の予定にはなかったこの月讀宮に参拝したということは、同行者のみなさまのご協力もありましたし、必然な流れだったのでしょうね。


そして、同行者の方々にも、今はわからなくても、後々にその意味が判明することは間違いないでしょう。


最後にしっかりと〆て頂きました。

ありがとうございました。





1コメント

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  • おはようございます。 初めて、コメントします(*^^*) スサノオがアマテラスのやかたをつくりなさいと言ってる感じがします。 ぼくは前世イザナミっぽいです。