正直、今回の「伊勢参拝」は、出会いと発見、さらに確信の旅になりました。
そのまとめを備忘録かわりに書いておきたいと思います。
伊勢という場所は、例えば出雲や高千穂のように、国家の成立に於いて、明確に神話等に明示されている場所ではありません。
ですが、あるときからここは、太陽神が鎮座する場所となり、その太陽神はイコール皇祖神という、いわば名実共に、日本国の最高神という立ち位置になりました。
どうしてそのようになったかに関しては一概にこれが理由だと言い切れるものはありません。
何故なら、それこそが、日本人という存在の謎とある意味一致しているからでしょう。
そして、それに関してここで書き始めると、また途轍もなく色々なことに触れなくてはいけなくなりますし、現段階では実証する自信のない仮説も出さなくててはいけなくなります。
ですから、その理由に関しては、ここでの明言はいたしません。
あ、というか分かりませんが正しいのです。
というか、皆様がよくご存知の伊勢神宮の位置付けでよいと思います。
そのように話を進めさせて頂きます。
◯本来のお伊勢参り
今回は、本来のお伊勢参りを体験できたことが大きかったです。
お伊勢参り自体は、熊野詣でと違い、庶民の中に根付いてきたものです。
熊野詣では平安時代末期が最も盛んでした。一番多くお参りされたのは後白河上皇だったと記憶しております。それから後鳥羽上皇。
しかし、いずれも天皇の御幸が一度もなかったというのが特徴です。熊野の話をすると長くなりますので、それは次に熊野に行ったときに。
あ、余談ですが、今のところ熊野には直近でお参りしなくてもよいそうです。
まだ、指示を頂いておりませんので…
〇なぜ二見なのか..
本来のお伊勢参りは、まず最初に二見で禊をするところから始めます。
しかし、わたくしは過去に、二見から伊勢に入ったことは一度もありません。なんとなく、そう、なんとなく昔から内宮の次に二見を回ってました。
そのときはまだ、現在のように、内宮のあと、月讀宮、倭姫宮、瀧原宮、伊雜宮という、わたくしなりのフルコースを回っていない時分で、鳥羽が定宿なので、伊勢から鳥羽へ向かう道すがらに二見があったことは大きいです。
それと、わたくし自身も実は、二見の二見興玉神社がずっと、伊勢神宮125社に属していると勘違いしておりました。同じように猿田彦神社も...(猿田彦神社は椿大神社という存在を知ってからは全く興味がなくなりました)。
敢えて申し上げれば、夫婦岩はとても気になります、惹かれますが...
夫婦岩は、アマテラスさま(日の大神)と興玉神石(猿田彦大神縁りの霊石)を拝礼するための鳥居になっております。
そしてこの二見興玉神社の祭神も猿田彦さまです。
なぜ、お伊勢を参拝するのに、その前に猿田彦さまに御寄りするのでしょうか?
これはとても大事なポイントだと思っています。
いずれ整理して書くことになるでしょうが、触りを書きますと、簡単にいえば、猿田彦の神さまこそ、そもそもこのあたりの神様だったのでしょう。
ですので、天孫降臨の際に道案内したという「大役」を、神話では与えられたのです。
猿田彦さまは国津神でしょうが、このお方はニニギさまの天孫降臨の際に「天の八衢に立って高天原から葦原中国までを照らす神」として表記されていますが、これは、恐らく「太陽神」であったことを示しております。猿田彦さまを一般的に「道開きの神」と呼ばれておりますが、道を開くとは「道を照らす」ということで、単なる「案内人」ではありません。太陽に縁がある、或いは太陽を司る役割を持った神様であるということです。
二見から入るとうことはそのようなことにも密接な関係があるのだと思います。
〇朝熊の龍の意味とは
そして最も今回色々と勉強になったのが、この朝熊の龍です。
実は最初の松尾寺の龍は、以前「伊勢の龍神さま ~春のお伊勢参り⑦~」でも書きましたように、そんなにピンとこなかったのですが、その次の八大龍王社でした。
八大龍王と聞いた際に、筆者は昔勤めていた会社の近くにあるお社を思い出しましたが、実はよく記憶を辿ってみたら、そういえばなぜ、そのときに近隣には沢山あったお社のなかからその八大龍王を選んだのかなと思ったのです。
選ぶという行為を筆者は大切にしています。
人生は日々選択の連続ですが、しかし、それは同時にいつも申し上げているように、人生に偶然はありません。
すべては必然です。
ですから選択というのも、決してそのときの気分で人間というのは選択している訳ではありません。その選択には、それまでの人生における蓄積が凝縮されているのです。
若い頃にはそういうことが分かりませんでしたら、偶然出会ったと思っておりましたし、若い頃の体験をいまの自分から振り返るときもついついそう考えてしまうのですが、そうではありません。
理由があったのです。
それを、今回の伊勢から帰ってから思い出したのです。
それは、なんと、高千穂だったのです。
実は20代のときに、高千穂に行きましたが、そのときに「行き損ねた場所」がありました。そしてそれをずっと気にしておりました。
だから、勤務先の近くにあったその八大龍王社に導かれたのです。
そのことを思い出しました。
なぜ、そのことを思い出したのか??
それは、きっと答えがそこにあるからなのでしょう。
ということで、長いことご無沙汰してしまった高千穂に、近々、行くことになりそうです。だって、行かない筆者の中の迷いは解決しそうにありませんので。
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