神武東征の真実⑤ ~熊野の重要性~


古事記の人代に入って最初の「神武天皇」のところで、随分と時間をかけてしまいました。(途中に大事な「伊勢」の紀行も入りましたが...)

でも、実はこの項目を色々改めて学んでいて、この神武天皇のところで性急に慌てて纏めることもない(というかそもそも無理だった)ということに漸く気づきました。

ちょっと、間怠っこしいことを申しますと、このての学習というのは、書物に書いていることだけではなにも分かりませんし、何しろ、その必要な文献に当ること自体が机上だけでは難しいのです。ですが、かならず、それ以外のヒントをたくさん頂けるのです。

そういうこともあってこの項目は書いて参りました。

ですが、神武天皇の部分では、いまの時点では残念ながら限界になってきて、寧ろ、その次の代のことをここ数カ月はたくさん受け取っておちります。

ですので、一旦、神武天皇は今回で終了させて頂こうということにいたいしました。


〇熊野と祟り神


前回「触らぬ神」のことにちょっと触る、ではなく触れました。

実は、イワレヒコさまご一行さまが、熊野にお入りになって最初は大熊(熊野の名称のために熊だとしたのでしょう。なので、これは当時この辺りにいた、もののけの神だと思われます。そう、まさしく「もののけ姫」の出てくるモロや乙事主の類でしょう。この辺りの宮崎さんの感覚は鋭いです)などを相手に気絶してしまいましたね。

これぞ、まさしく「触らぬ神」なのでありましょう。

これは前回(神武東征の真実④~服属と反抗、その意味~)に記しましたように、はっきりいっておかしな理由付けです。

さらにヤタガラスです。

なにものでしょうかね、この集団は??

熊野は熊野で平穏無事な生活をしていたのに、なにゆえそこを服従させる必要があったのでしょうか??

そして、その対象をわざわざ「荒ぶる神」化させてまで。

すんなり読むと、そう、イワレヒコはその悪い祟り神を退治して進行したことになっていますよね。

ですが、そんなことを一々ここに書く必要があったのでしょうか??

実は次のことを理解するとこの部分の本当の意味が理解できるのです。

それは
「ヤタガラスはそもそも土着の鳥であったこと」
「ヤタガラスとフツノミタマは全く関係ないこと」
「熊野は別の大きな勢力と関係があったこと」
です。

ヤタガラスは、そもそも鴨氏であることは略定説です。
つまり、鴨氏がこの熊野の地域を統括していくためにイワレヒコの勢力が必要だったのです。
そして、これは前にも書きましたが、ヤタガラスが天から使わされたように書かれていますが、これは誤りです。
天から遣わされたのは、フツノミタマです。
ここを混同させるような表記があるので厄介なのです。

つまり、ヤタガラスの鴨氏が、熊野を先導して、他の豪族を服従させていったというのが正しいところです。

フツノミタマは、無論、力はあったと思いますが、イワレヒコが「天孫(もしくは天津神の子孫)」であることの象徴、また、いうなれば、「錦の御旗」のようなものです。


〇熊野の正体


そして大事な点が、この熊野が他の大きな勢力と重要な関係にあったということです。
それは、恐らく、出雲と考えて間違いありません。
なので、その出雲のことを、「荒ぶる神、祟り神の勢力」だというように思わせたのでしょう。

これが、太安万侶のレトリックです。

見事です。

しかし、そもそもそのヒントになるものはたくさんありました。

例えば、「黄泉の国」です。
黄泉の国の入口は、出雲にあります。
一方で、熊野は古代人にとっては、「黄泉の国」そのものです。
そして、ここに、イザナミさまもスサノオさまも繋がっているという訳です。


見事です。
本当に見事です。

この熊野と出雲の繋がりに関しては、これからこのブログでもたびたびご紹介すると思います。

前述いたしましたが、まだまだ、神武天皇に関して探求しなくてはいけないことはたくさんありますが、それは、このあとにも繋がってくることなので、ひとまず、これで神武天皇(神武東征)の解説に関してはひと区切りにさせて頂きます。





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