常々、日本史に於ける東北地方の存在というのは、極めて興味深い点が多い思っておりました。
教科書レベルでいうと律令国家としての日本の中で、所謂、遠方の地であるということ。
或いは、荘園及び封建制に於いても、その実態支配においての興味であり、また、なによりも中央と言われる組織とはある意味で乖離された権力との交わりは我々の想定以上の事実を、恐らく隠し持っているということを探しだすことが、実に研究に値すると思うからであります。
但し、学校教育では必要以上のことは学べなかったし、また、日本史教員が自身の専門分野に逸脱することが多かった小・中・高の日本史授業に於いて、残念ながら東北ご出身並びに研究者は皆無で(小学校の美術教師は東北出身東北弁でそれは桁外れな存在であったが...)、中々その辺りの話が聞けなかった。
バイト時代に知り合った友人グループの中で、福島は会津の出身と山口県は萩の出身が居て、それはそれは仲が悪かったというのが、え? 同世代でもそんななんだって意外に思いましたが、彼らは仲が悪いながらもお互いの下宿を行き来しており、時として片方がまるで人質状態になることもしばしばあったらしいようでした。わたくしがあるとき「翔ぶが如く」を持っていたら、双方に、どっち派なのかと迫られたこともありましたが。残念ながらその時代を生きていないものとしては、どっち派だと言われても本当のところの判断は無理だとおりましたもので...
ですが、これも平成に入ってからなのですが、古代のこの地域の話をすることに関してもタブー視が随分払拭されたのも事実です。
昭和までは、せいぜい、奥州藤原氏までは結構フリーにお話できましたが、それ以前になったくると、例えば、阿弖流為(アテルイ)ですね。この阿弖流為はずっと「蝦夷」(色々な読み方、書き方がありますが、これが一番一般的なので…)っていう蛮族みたいな位置付けがされていましたが、筆者はどちらかというと、阿弖流為に代表されるこの部族の方が土着な日本の民族だと思っておりましたので… なので、平成に入ってから、この阿弖流為を征伐した坂上田村麻呂の方が、実はルーツは渡来系にあるって説が出てきたときは、ほら、やっぱりそうなんだって思いました。
更に言えば、秋田の赤神神社なんていうのはもっとやばい史実を隠し持っていると思いましたし...
わたくしは学生時代、そして社会人になってからと、最近になってここ数年、日本海に面した道路をドライブする(ドライブが目的ではありませんが)ことが多くなっておりますが、日本海はどこを走っていても広く、青く、深く、そして寒く、冷たい感じがいたします。もっと、簡単に申し上げれば、この水平線の向こうにあるものは中国でも、朝鮮でもなく、失望や終焉だって、思って走っています。それは恐らく、日没の方角なのだからだと思います。
いつもそう思います。
なのでこの海の向こうに、希望は感じません。
でも、それって、知識に基づいたことではなく、多分、その土地土地に染み入った、人々の感じや気持ちなのかもしれません。
そういうものを純粋にいつも受け取ってしまうのかもしれません。
〇岩木山
筆者はこのブログを書き始めた頃と変わらす、相変わらず、日本の都道府県で、滋賀県と佐賀県には宿泊をしたことがありません。
東北は意外に多いのです。岩手県が多分1回ですが、それ以外はどの県も5回(泊数ではなく機会)は体験しております。特に最近は青森です。
そして最初に青森に訪問した際に、青森空港から移動中のクルマから見た岩木山は、とても神秘的でした。
なぜなら、青森というと、とても山と森が多いイメージがあったのですが、この岩木山は、津軽平野の中にポツンとひとつだけ存在していて、遠くからみてのそれは、それまで見た風景と違って、なんともうしますか、矢鱈と神々しさを感じました。
それと同時に、ここにはなにかありそうだという期待が...
と、申しますか、筆者は、日本中色々なところへ行っている割には、ほとんど下調べとか、事前学習をしないのです。
行き当たりばったりというか。
あ、但し、交通手段と宿泊先の確保はいたしますが、それ以外はあまり考えません。
以前にも書きましたが、伊勢神宮参拝なども、西日本に行った際に時間があれば立ち寄るというのが多いですし、なにか用事があって、そのついでというか合間に観光た参拝をするというのが多いもので、この岩木山に関しても全く知識がありませんでしたから、余計に感動を覚えたのかもしれません。
そのときに泊まった宿からも、この岩木山を望むことができ、うーん、これはどう見ても、神さまの山だなぁって。
古代から、こちらは神山として崇められていたに違いないと思いました。
まぁ、実際、こういうことは「るるぶ」なんかを読めば書いてあったのでしょうが、そういう予習をしない輩としては、きっとそうだろうなぁなどと想像している時間が結構好きなのかもしれません。
そして単純に思ったのが、そうなのであれば、神社も存在するだろうなと...
ですが、そのときは時間がなくてお訪ねすることができませんでした。
〇岩木山神社
近年、青森県五所川原にご縁があって立佞武多の時期に観光していることは、前回、「五代 孝昭天皇 (みまつひこかえしねのすめらみこと)」の冒頭でも述べましたが、最初に五所川原に訪問している最中にも、この岩木山が、ご当地の方々に取って特別な存在であることも徐々に分かって参りました。
しかし、青森市や弘前市ならともかくも、この五所川原市というところはどこに行くのでも。とても交通の便が悪く、タクシーを使うか、レンタカーを予約するか。それ以外に公共交通はJR線を除いては殆どありませんでした。ですので、その次の年にレンタカーを予約して、岩木山神社に参拝することにいたしました。
時系列でいうと、この前に山形、秋田に参拝しており、この岩木山があり、この後に会津界隈に参拝しておりますが、これはそれぞれ単独に企画していたのですが、その後にすべての参拝が繋がりを持っておりました。
つまり、すべてが必然だったのです。
決まった時期は別々だったのですが...
ご祭神は岩木山大神(いわきやまおおかみ)で、次の五柱を総じてそういいます。
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)-大国主神
多都比姫神(たつびひめのかみ)
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
さて、実際に当社を訪ねて、なにしろ驚いたのは、とても長くて立派な参道です。
行けども行けども、参道が続いているという感じです。
緩やかですが傾斜で、幾つもの鳥居がありました。
それで、気づいたのですが、この真正面は岩木山があるのでしょうか、この参拝の際には好天でしたが、正面、つまり岩木山は真っ白い雲に覆われて姿を隠されておられましたので、全く気がつきませんでした。
ところで、前述の岩木山大神に、顕国魂神がおられましたが、この神は大国主神と同一とのことですが、なんと、このあたりの言い伝えでは、この神がこの場所に降臨したそうなのです。さらに180人の子を為したそうです。
大国主神が顕国魂神と称されてお祀りされているのは、当社だけではありません。
ただ、一種の共通性があり、それは、各地の国魂神を大国主に習合させたものと考えられています。つまり、各地の神社で開拓の祖神として祀られている大国主は、元々はその地の国魂神であったと考えられるのが定石です。
これは、もっと深く考えれば、オオクニヌシさまの国造りの過程だということが想像できます。残念ながら、この詳細は記紀には記されておりませんが、各地の風土記、というより、寧ろそこまでいかないレベルの言い伝えや、実際、お社をとしてそういうものをその地域の伝承(継承)として残しているのが、この国の素晴らしいところです。
子々孫々に伝えることは、稲作の伝承とイコールなのでしょう。
実際に、当社の発祥は奥宮、つまり岩木山の山頂にあります。
そしてその場所こそが、顕国魂神が降臨したとされているところなのであります。
本殿に参拝させていただきました。
実は、この参拝は昨年のことだったのですが、更に驚いたことがありました。
龍神さまです。
そうなのです。
無論、こういうことを趣味(いまはまだ趣味の段階...)にしておりますから、当然、龍には興味がありますが、以前にも書きましたように、龍は定義が難しく、また、西洋のドラゴンと東洋の龍は別物ですし、中国の龍と日本の龍も少し違います。また、日本では、龍と蛇が混同されているところもあります。ですから、そもそもそんなに積極的に龍神さまには近づかなかったのですが...
こちらではかなり積極的に近づき、お参りしておりました。
これも不思議なご縁です。
多分、少しずつ龍が気になっていたのだと思います。
そして、その後、本年3月のお伊勢で、八大龍王に四半世紀ぶりに再開しているのです。
この岩木山神社への参拝はその前兆だったことに、いまさらながら気がつきました。
ところで、この白雲神社の祭神は多岐都比売命さま、つまり宗像三女神の一柱です。
多岐都比売命(湍津姫神)さまは、宗像大社・中津宮のご祭神ですが、えぇ?? 中津宮に龍神さまの形跡ってあったのでしょうか??
中津宮にはかれこれ20年近くお参りしておりませんし、前回お伺いした際には日本神話に然程精通しておりませんでしたので...
またまた、今後の巡礼目的地が増えました...
とてもありがたいことだと思います。
最後に岩木山神社が、所謂、大神神社や弥彦神社のように、お山自体を神として崇敬している、所謂、日本的アミニズム信仰とは若干異なるものであることもこの参拝で感じました。
前述のように、そもそもは岩木山頂に神が降臨し、その軌跡を発祥としている点は、ヤマト的なアミニズムとも、或いは山岳信仰とも少し違いますが、この辺りにも、この東北地方独特の信仰形態、所謂、神に対する感覚、認識が異なるのかもしれません。
参拝時期から一年、ふと思い立ってこの参拝紀行を書きましたが、今書いたからこそ、分かり得た事実もあります。
これも必然なんでしょうね。
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