今回は「天孫降臨」においてニニギノミコトに従った神々をご紹介しますが、実は、この神々の殆どが、「天の岩屋戸」事件の際に集まり、合議を開いた際の面々であったことがわかります。
まずは、その神々をさきにご紹介します。
※古事記原文
「爾天兒屋命 布刀玉命 天宇受賣命 伊斯許理度賣命 玉祖命 并五伴緒矣支加而天降也」
「天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五伴緒(いつとものお)が従うことになった」とあります。
天児屋命(あめのこやねのみこと)
岩戸隠れのときは、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出しました。
天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、古事記には中臣連の祖となったと記されています。
名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えらています。
尚、平田篤胤の説では、この神は思金神と同一神であるとしています。
布刀玉命(ふとだま)
岩戸隠れのとき、思金神が考えた策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行いました。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げ天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出しました。
天孫降臨では、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴しました。
『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれています。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)
あまりにも有名な神さま故、単独でご紹介しようかとも思ったのですが、別記事「猿田彦」さまのところでもご紹介すると思いますので、ここでは、天孫降臨と岩屋戸のエピソードだけにします。
岩戸隠れでは、思金神の発案で様々な儀式を行いましたが、「古事記」では 「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」 つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせたと記されています。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大御神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻りました。
天孫降臨では、瓊瓊杵尊が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいらっしゃいました。「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」とアマテラスさまに交渉を指示されましたが、この時のアメノウズメは『日本書紀』では、 「その胸乳をあらわにかきいで て、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」 つまり、乳房をあらわにし、裳の紐を臍の下まで押したれて、あざわらいながら向かって言ったと記されています。その後、名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言いました。
伊斯許理度売命(いしこりどめ)
岩戸隠れの際に八咫鏡を作った神さまです。
※ちなみに日前神宮・國懸神宮(和歌山市)には八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)がありま す。日像鏡は日前神宮の神体、日矛鏡は國懸神宮の神体となっています。
天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴しました。
玉祖命(たまのおやのみこと)
岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った神様です。
天孫降臨では五伴緒の一人として随伴しました。
思金神(おもいかね)
この神さまも余りにも有名なおかたです。当ブログでも、「天の岩戸伝説の意味」、「国譲りに見られる古代史の真相① ~高天原~」 の古代史解説の部分にお名前が出てきておられます。オモイカネさまは同時に高木神さまの御子神様という解釈をされています。
つまりわたくしの考えはこうなんです。ニニギさまはアマテラスさまの天孫(高木神は外祖父神でもありますが...)、そしてそれを支える宰相系統がオモイカネさまなのです。武家政権における筆頭家老家のようなもの。ですが、不思議なことに、このあとピタッと出てこられなくなります。そしてそれはニニギさまも一緒なのですが...
手力男神(アメノタヂカラヲ)
岩戸隠れの際に岩戸の脇に控えており、アマテラスさまが岩戸から顔をのぞかせた時、引きずり出して(『日本書紀』の一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、それにより世界に明るさが戻りました。
天孫降臨の際には、アマテラスさまが三種の神器にオモイカネ、タヂカラオ、天石別神を副えたと記されております。
ここまでの神さまは、「天の岩屋戸」でも活躍された方々です。
それ以外にも重要な神さまが、ニニギさまと共に降臨されています。
※原文には
「次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也 次天石戸別神 亦名謂櫛石窓神 亦名謂豊石窓神 此神者 御門之神也」
と、トヨウケさまもご一緒に同行されたと記されておられるようなのですが...
登由宇気神(トヨウケビメ)
実はここに出てこられている神さまと、豊宇気毘売神(豊受大神)が同一か否かは解釈の分かれるところです。そもそものトヨウケさまは、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされているます。
古事記のこの部分には確かに「外宮之度相」という表記がありますが、度会のことなのか、また、文脈はトヨウケヒメがニニギの天孫降臨に同行していたことを表現している表記には繋がらないという意見等でいろいろ見解が分かれています。
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)
もう、一柱、この神さまですが、この方も「御門に祀られた」旨が記されておりますが、この神さまニニギさまには同行されているようです。但し、やはり「天の岩屋戸」には出て来られていないので、確かなことはあまりわかっておりません。またの名を、櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)などと仰り、御門の神さまだと読み解くのが最も順当なようです。
最後になりましたが、「天孫降臨」の先頭の大役を果たした二柱が、
天忍日命(あめのおしひのみこと)
天久米命(あまつくめのみこと)
と表記されておりますが、それぞれ、大伴氏、久米氏の祖神となっております。
このように大勢の神さまを同行し、まさにニニギさまは賑々しく天降ってこられたのでした。
0コメント