海幸山幸神話の真実(1)

ついに古事記の「神代編」も最終話になってしまいました。


実は、半世紀を越える筆者の人生で、こんなにまじめに「古事記」を読み込んだことはありませんでした。

というか、古典に限っても、万葉や土佐日記、伊勢物語あたりもかなり読み込みましたが、こんなにはなかったかも...


度々書いておりますが、筆者は確かにそもそも歴男、それもかなり極端で、史料の読み方もかなり自分勝手で、さらに好き嫌いがありましたし、どちらかというと天皇家の宗教である神道よりも仏教に通じており、紀行といえばその半分以上が「古寺巡礼」でした。


徐々に変わってきたのは周りの環境です。


伊勢神宮にはいろいろご縁があって、かれこれ30年以上も毎年末に参拝いたしておりましたが、それも不思議とその関係が次第に濃くなっていき、15年前から年2回、そしてここ数年は4~5回、なにか、導かれるように神宮へ引き寄せられ。


予定外に関西方面の帰りに急に名古屋で降りて寄ったことも、また、祖父母の郷里である三河に行く予定が、運転中に予定を変更して行ったことも…


そして同時にここ数年の数々の出会い、並行して、「記紀」と密接につきあい、さらにいくつかの新しい仮説を与えられ、その実証のために、全国のお社(それ以外もあり)への参拝と、そういうご縁のあるかた、そういう力を持った方々と引き寄せられることによって、自らの使命がかなり明確になってまいりました。


また、天照大御神さまも大きな要因。


生涯のほとんどが、アマテラスさまが氏神様のご祭神だった事実。


そして幼少のころから、伊勢に対岸の三河から憧憬の眼差しを送っていたという事実も。


そしてそれらはすべてが必然。


そしてこれからのことも必然。


その必然に対し、人並み外れた特別な力を持たない筆者が、たったひとつできることが、そんな道しるべを探るための手段のひとつ(といってもかなり大きな割合ですが)、古事記の読解でした。



古事記は短い書物です。正史である日本書紀と違って、基本、フィクションですから、文体も読みやすく、半日もあれば一通りは読めます。


なので過去にも何度も読んでます。


しかし、今回は、ここまでで、一年以上も費やしました。


さらにいえば、いままではあまり重きを置いていなかった、国譲りから海幸山幸までの間。


そう、そもそもが伊勢神話派ですから、出雲神話にはあまり興味もなく、出雲は素晴らしいところですが、所詮は正統な日本国の歴史とは別物なんだと。


そんな風に、真剣につきあいませんでした。


しかし、今回は違いました。


大事な部分はむしろ後半だったんだと....


後半、特に前述した国譲りから海幸山幸の部分をしっかり読解し、ここに掲載されなかった真実を見極めないと、別の言い方をすれば、なぜ、ここで後世に「真実」と選別されてしまったものの本質とはいったいなんなのかを...


特に最後の「海幸彦と山幸彦」という、所謂、「天孫降臨~日向三代」の部分は、闇雲に神代編を急いでまとめあげなくてはいかないという焦りだけが、文章の行間から読み取れてしまうのです。


なので、この「神代編」の最終話は、特別丁寧に読解する必要があるのでしょう。


という訳で、この箇所は、神代編の総仕上げと併せて、数回にわたって解説していこうと思います。



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