前回から大分、あいだがあいてしまいました。
筆者は、どちらかというと、ひとさまがせわしくないときにせわしないのですね。
あ、もとい。
「に」でなく「も」です。
決算期である2月、中間決算の8月、いわゆるニッパチはせわしない。
そしてなぜか6月。
総会シーズンなんですね、いろいろ出入りさせて頂いているところがありあすし....
さらに、結婚記念日もあるし、長女の生誕日、その他もろもろです。
そんなわけで、あいてしまいましたが、前回に続いて、この神話の気になる点を探っていきましょう。
※「山幸彦と海幸彦」原文はこちらをお読みください。
〇火照命と火遠理命の幸替え
ホデリは海の魚類を獲物とし(海幸)、ホヲリは山の獣を獲物とし(山幸)生活していましたが、ある日弟のそれぞれの獲物を取る道具を交換しようと提案しましたが、ホデリはなかなか承諾しませんでした。そしてようやく交換しましたが、まったく魚は釣れずに、その上、ホヲリは兄の釣り針をなくしてしまいました。兄に事情を説明しましたがまったく受け入れてもらえず、ホヲリは自らの剣で1500本の針を作り償いましたが、それでも拒絶されました。
さて、この導入部は、まさしくインドネシア地域の伝説話にある「釣針喪失譚」という話です。
ただ少し違うのは、針を友人に借りたことと、そもそもこの話の主人公は、どちらかといえば、ホデリ(海幸)に近いのです。
なぜホヲリがわざわざ針を借りることになったのかが重要で、それは、「漁労関係者」の取り込むことだと思われます。
ちょっと観点を変えると、日本の歴史は稲作の歴史です。農耕民族です。その「農耕」の定義は「土地と田畑」であるのですが、ただひとつ現在においてもその定義に収まらない場所があります。
漁港です。
漁労者というのは、この稲作文化の民族の枠にはまったくといって治められません。
彼らは「舟」という独自の技術を持ち、「海洋」という独自の狩猟場を持ち、そして「漁村」という独自の集落の中で生活してきました。
いいかたをかえれば、農耕民族とはまったく文化の違う民族だと言っても過言ではありません。
そして現代においても漁村は特別な枠組みなのです。
しかし、わが国は、その「漁労者」を海幸とすることで、うまく「統治」という名の古代神話の中に取り込んでしまったのでした。
なので、ここは山幸がわざわざ海幸の針を借りて、無くして、さらにこの後にあるように、海宮まで行かなくてはならなかったのです。
なんと申しますか、とても手の込んでいる一幕なのです。
そして、この「手の込んだ」ことこそ、日本人が「知恵」を働かせ国家を富ませていく美学にもなっているのです。
さらにこの「釣針喪失譚」は、「塩椎神の教え」にも同じような表記がみられます。
それは「助言者」です。
塩椎神は、困っているホヲリに「 虚空津日高 (そらつひたか)」と呼びかけ、海神でありワタツミノカミのことを話、海宮まで連れていき、そこで、海神の娘が相談にのってくれることまで教えてくれました。
この助言者というのは、実は、神話の中で、とても大きなキーパーソンになっています。
ここに出てくる塩椎神だけでも、日向三代にわたりよき助言者なのですが、それだけでなく、「天の岩屋戸」以降、合議制を取って、天照大御神ですら支配をしていませんでした。
西洋国家的、あるいは中国皇帝のような「支配」という考えは、この国にはまったくその要素すらないのです。
わたくしたちの年代はGHQによって誤って曲げられた日本史を押し込まれました。なので、この部分には誤解があるかたも多いと思います。
戦時中も似ています。なので戦中、戦後に受けた日本史教育は誤っています。
最初から、天照大御神の時代から、天皇は「勅令」を出しているものの、唯一絶対支配権を持ってなんかいません。
そんな揶揄な野蛮な考えはないのです。
協調して、共に学び失敗し、そして手を携えあって次に進むことのできる、こころが強く優しい民族なのです。
だから、稲作がこんなに広まったのです。
記紀はそれを随所で強調しています。
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