古事記の成立は712(和銅5)年です。
そもそも古事記はなぜ作られたのでしょうか?
古事記の編纂を命じられたのは天武天皇です。
天武帝は、日本国の成立を正しく伝える書物の必要性を感じられ、
特にこの国は代々天皇家を中心に未来永劫発展してゆくには、
その根幹をしっかりと後世にも伝えなければならないと考えられました。
ときに674~7年くらいのことだと言われています。
そして選ばれたのが稗田阿礼と太安万侶です。
稗田阿礼は頭脳明晰で、一度聞いたものはすべて暗誦できる能力があったと言われています。
また、 太安万侶は、文章を書くのが得意で、 稗田阿礼が覚えたことをすぐに書きとめられたといいます。
古事記はこのふたりの共同作業でした。
その稗田阿礼が暗誦したものが「帝紀」と「旧辞」という歴史書で、これが古事記の元になりました。
「帝紀」とは、ひとりの天皇が即位したから崩御するまでの記録を事細かに記したものであり、
「旧辞」とは、天皇統治以前の神話や伝説などを現代でいう娯楽小説のように軽いタッチで記したもので、
これでお分かりのように、古事記の上巻は「旧辞」を、中巻・下巻は「帝紀」の内容を多く含んでいます。
この二書はかなり昔から存在していたと推測されますが、天武帝が、正しい歴史を残すと言われたように、5世紀くらいから日本各地の豪族が力を持ち始め、歴史の彼らの良いように書きかえられていました。
そう、いつの時代においても歴史とは「勝者の理論」に過ぎないからであります。
この時代もすでにこのことに相違はありませんでした。
天武帝はある意味で、久しぶりに出て来た、とても力をもった天皇でした。
このタイミングを逃してはいけないと思ったのでしょうか。
しかし、残念ながらこの「帝紀」と「旧辞」は現存していません。
そして古事記の編纂事業は難航し、残念ながら天武帝はその完成を見届ける前に崩御されました。
古事記の編纂事業も中止となったが、その20年以上ものち、元正天皇によって再開を指示され、
その翌年に太安万によって、完成品が献上されました。
ここに、神話からはじめて世界の成り立ちと歴史を示すことにより、
天皇家の正統性を確保するという
一大ファンタジー作品である「古事記」が完成いたしました。
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