天照大御神 (あまてらすおおみかみ)

これまでもアマテラスさまのことは色々書いてきましたし、この後も様々なかたちでこのブログに登場すると思いいますが、記紀に置いてはひと段落したので、少しまとめてみようと思います。

まず、基本的な情報から。


お名前

<古事記> 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

<日本書記> 天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。

神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)とされている。


<系譜>

 父 イザナギ(伊弉諾、伊邪那岐、伊耶那岐)

 母 イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)(日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない)

 三貴子(イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたアマテラスを含む三姉弟の神)

 弟 ツクヨミ(月夜見尊、月読命)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)

 弟 スサノオ(建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊、須佐之男命)

 夫 いない(ただしスサノオとの誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある)

 五男三女神(アマテラスとスサノオの誓約の際に生じた神:男神がスサノオが口から生んだ子、女神がアマテラスが口から生んだ子とされる)

  男神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

  男神 天之菩卑能命

  男神 天津日子根命

  男神 活津日子根命

  男神 熊野久須毘命

  女神 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)

  女神 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)

  女神 多岐都比売命

 ※「古事記」と「日本書記」における表記が違うところがあるので、全部書き出してみました。

<神話の記述>

①『古事記』 伊邪那岐命伊邪那美命の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしていまするこのとき右目から生まれたのが月読命、鼻から生まれた建速須佐之男命で、この三柱を三貴子と呼んでいます。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示しました。

②『日本書紀』においては、

第五段の本文では、伊弉諾尊・伊弉冉尊が自然の神を産んだ後に大日霎貴を産んでます。

第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日霎貴が生まれています。

第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれています。

日本書記は日本国の正史、古事記は日本最古の歴史書です。また、これら数多の説があるのは、そもそもがそれ以前からあった「帝紀」と「旧辞」から内容を選定していると言われていますが、残念ながらその書物は現存しておりません。(「古事記の誕生」参照ください)

さて、これが一応、アマテラスさまの基本情報です。


一方で、アマテラスさまは、色々な見方をされています。


わたくしも、分かりやすいのでたまにこのブログにもそのように書いてしまいますが、このアマテラスさまは、記紀が編纂された時期の人間の色々な思惑がちりばめられています。それ自体をどうこういう積りはありませんが、あまりにそればかりに固執してしまうと、折角の壮大な古事記の世界を楽しめなくなってしまいます。それを踏まえてここに書きしるしたいことは、一体、この天照大御神のモデルは誰なのだろうということです。


①卑弥呼説

ずっと長いこと有力だったのが、卑弥呼説です。根拠は「天の岩屋戸」事件です。卑弥呼の晩年実際に皆既日食が訪れて(天文学の計算で、実際に残っています。247年、248年の2回)、この翌年に卑弥呼が没したと推測されます。これが九州地区だったのが、邪馬台国九州説科学的裏付けになるとも言われています。卑弥呼のあとに男性王が継ぎましたが世の中が乱れ、結局卑弥呼の巫女であった壹與が女王になったら収まったというのも、古事記の天孫に通じるという見方もありました。


②神功皇后説

これはそもそも、卑弥呼=神功皇后というところから始まっているようです。神功皇后は三韓征伐の功績や、応神天皇の母としての輝かしい活躍もあったので、卑弥呼と被るのではといっていたが、それよりも宗像三女神との関係を重視(三韓征伐の際の水先案内人)され、また近年は神功皇后自体の去就がわからないことからここを繋げられたのだとみて良いと思います。


③持統天皇説

①②の実在が証明できない中、近年クローズアップされたのが、持統天皇=天照大御神説です。持統天皇は天智天皇の子、天武天皇の姪にあたりますが、13才で大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎましたが、その天武天皇が記紀の編纂を命じています。ところが息子の草壁皇子は若くして亡くなり、孫の文武天皇が即位するまでの間に第41代の皇位についています。この部分は、天照大御神が、孫の瓊瓊杵尊に地上世界の統治を命じているところに似ています。また、何と言っても、伊勢神宮で第一回の遷宮が行われたのは持統朝のときなのです。要するに、この持統天皇の皇位を正統化するためにアマテラスさまは女神さまであり、ここから皇室が連なっている皇祖神であることが、どうしても必要だったのでしょう。


アマテラスさまは、このあと、メインではありませんが記紀には出て参りますし、ご自身が出演されなくても、多大ある影響を古代史に与えています。なので、このあともこのブログにしょっちゅう出てこれらますので、よろしくお願いします。

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