国津神、猿田彦さまのナビゲーションのお蔭で、ニニギノミコトさまは、無事に葦原中つ国に降り立ち、それだけでなくこの国の統治を開始されることになりました。
そんなある日、運命の出会いがありました。
しかし、これは単なる運命の出会いだけでなく、人間の運命を左右する大事な出来事でもありました。
(現代語役)
さて、ホノニニギは笠沙の岬で美しい女に出会った。
そこで「誰の娘だ」とおたずねになると、女は「オオヤマツの娘、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)と言います」とお答えした。
そこで「おまえの兄弟はいるか」とたずねられると、「姉に石長比売(イワナガヒメ)がいます」とお答えした。
そこで「わたしはあなたと結婚したいと思うがどうであろうか」と仰せになると「わたしはお答えできません。わが父のオオヤマツミがお答え申すでしょう」とお答えした。
そこでその父のオオヤマツミに結婚を乞うために使いを遣わしたところオオヤマツミはたいへん喜び、姉のイワナガヒメを添えて多くの台に乗せた献上物を持たせて奉った。
ところがその姉はたいへん醜くかったので、恐れをなし親元に送りかえし、ただその妹のコノハナノサクヤビメだけを留めて、一夜の契りをお結びになった。
※木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)さまは、神話に出てくる女神さまのなかでも、もっとも美しい神さまだといわれています。
一方でイワナガヒメさまは外見は醜いのですが、心は大変綺麗で美しい神さまだと言われています。実は、日本には他国の神話のように、「美の神さま」と言われているおかたがおりません(吉祥天はその類らしいですが、記紀の神さまではありませんので...)が、先日あるかたが、「岩長姫さまは心の美の神ですね」と言われておりました。
筆者もそうだと思います。
ところで、ここに出てこられる大山祇神(おおやまつみ)さまは、神産みで誕生された神さまです。「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味ですが、別名の和多志大神の「わた」は海の古語で、海の神を表わしており、山、海の両方を司る神ということになります。
また、 八岐大蛇退治において、スサノオさまの妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子であると名乗っています。
(現代語訳)
そこでオオヤマツミはイワナガヒメが返されたのをたいへん恥じて、「わが娘を二人一緒に奉ったのはイワナガヒメを遣わせば、天つ神の御子の命は雪がふり、風が吹いても常に石のようにいつまでも変わらないでしょう。
またコノハナノサクヤビメを遣わせば、木の花が咲き誇るが如く栄えるようにと願い、奉ったのです。
しかしイワナガヒメを送り返し、コノハナノサクヤビメを留められたので天つ神の御子の寿命は木の花のようにはかなくなられるでしょう」と言った。
このような理由で今にいたるまで天皇たちのお命は長くないのである。
※残念ながら、オオヤマツミさまの願いはニニギさまには届かなかったようで、ここで、初めて、天津神さまに「寿命」というものがうまれました。
この件に関しては、また、別の記事にまとめたいと思います。
(現代語訳)
しばらくしてコノハナノサクヤビメがホノニニギのもとにやって来て「わたしはあなたの子どもを孕みました。いま出産の時になりました。この天つ神の御子はわたしだけで産むわけにはいきません。だからうち明けるのです」と申し上げた。
そこでホノニニギは「コノハナノサクヤビメはただ一夜の契りで妊娠したというのか。これは私の子ではあるまい。きっと国つ神の子に違いない」と仰せになった。
これに答えて「わたしが孕んだ子が、もし国つ神の子ならば産むときに無事に産まれないでしょう。もし天つ神の子ならば無事に産まれるでしょう」と言い、ただちに戸のない大きな御殿を作り、その中に入り、土で塗り塞ぎ、子を産むときに火をその御殿につけて子をお産みになった。
※アマテラスさまとスサノオさま、そして、高木神さまの「矢」(アメノワカヒコの胸に当たる)と同じように、ここも「誓約」といいます。
コノハナサクヤヒメさまのご気性はすごいですね。「天津神の子なら死なない」という確信、ですが、ご自身は亡くなることは考えなかったのでしょうか??
というか、そのことに関しては出産したあとにコノハナサクヤヒメは古事記に出てこられませんのでわかりませんが...
(現代語訳)
その火が盛んに燃えているときに産んだ子の名は火照命(ホデリ)、これは隼人阿多君の祖である。つぎに産んだ子が火須勢理命(ホスセリ)、つぎに産んだ子の名は火遠理命(ホヲリ)、またの名は天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミ)の三柱である。
※そしてお生まれになったホデリさまが海幸彦、ホオリさまが山幸彦です。
益々面白くなってまいりました。
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