古代史の研究が盛んなのはいまに始まったことではありません。
しかし、やはり昭和の時代は色々言いたくても言いたいことが言えなかったのは事実です。
また、それは、実はまったく違った意味で、明治~大正時代もそのようでした。
明治~大正時代は思想的なことが絡んで参りました。
たとえば、天皇を尊敬していないのではないかとか??
戦後はかなり違います。
そもそもが、わたくしたちの歴史教育の根本はまったく違いました。
しかし、その一方で、日本国民は和と協調、共存共栄を第一に考える、とても優秀な民族でした。
なので、穿ったいいかたをすれば、そういうようなことが根底にないひとは、日本国民から遠いのかもしれません。
そんななか、明治も、戦後も共通して(但し、戦後、昭和時代には少しトーンダウンしておりましたが)、もっとも古代史において謎とされ、誰もが解明を探し悩んでいたところがここです。
そう、「神武東征」です。
いま、このブログも神代編の最後のところに差し掛かっておりまして、次の大きなテーマが「神武東征」になります。
その直前が、日向三代であり、そして、このホオリさま、そしてその子、ウガヤフキアエズさまです。
今回は、この流れをみていきたいと思います。
〇豊玉毘売命の出産
トヨタマヒメはホオリさまが海宮に滞在中に懐妊され、ホオリさまがホデリさまを服従させたあと、ホオリさまのお近くで出産なさりたいと。
しかし、産屋もまだ完成していない状況でしたので、出産するときは元の姿に戻るのでけっして自分のことを見ないようにといいます。
ですが、その不思議な物言いに思わず見てしまったところ、 八尋大熊鰐(やひろわに)の姿に驚いて、ホオリさまはその場を逃げ出してしまいます。それを恥じだと思ったトヨタマビメは、地上に通うことをやめてしまいました。
しかし、こうして誕生したのが、天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)です。
トヨタマヒメさまの出産は所謂「禁室型説話」と呼ばれるものです。
(特に異類婚姻に於いては)見るなのタブーと言われるものです。
そして、お分かりの通り、この話はその後の「鶴の恩返し」の民話の原型になっております。そう、「山幸海幸神話」は、「浦島太郎」の元話でもありましたね。
そして、この類の説話では、異類の者との間の子の子孫が王朝・氏族の始祖とされることが多いのです。
トヨタマヒメさまは海神・大綿津見神さまの娘。
つまり、山神・大山津見神の娘、木花佐久夜毘売さまとの間にもうけた火遠理命(=山幸彦)さまと結ばれたことで、ここに海山の両方の神力(但し、ホオリさまは、既に塩盈珠と塩乾珠をワタツミさまから授けられてる段階で海神の霊力は携えておいででしたが...)し、鵜茅不合葺命(うがやふきあえず)の誕生は、その霊力を末代まで後継していくことになります。
実は日向三代(ひむかさんだい)と言われているの中でも、ウガヤフキアエズさまは記紀の登場が少ないおかたですが、この後、神武天皇に繋がっていく流れで、天津神の後継としてさらに地球自然界の霊力を婚姻によってすべて携わられた血族であることがとても大事なポイントだということです。
ちなみに天皇につながる神は皆「稲」に関する名を持っておられますが、(ホオリさまは日子穂穂手見命といいます)、日子波限建鵜草葺不合命だけが稲穂と無関係であり、これには諸説ありますが、そのひとつとして、前述した地球自然界の霊力を携えたということが挙げられています。
(それ以外の説もありますが、とても長くなるのと、少し記紀と外れてしまうのでここでは記しません。わたくしも勉強不足なので...)
つまり、この「山幸海幸神話」、「日向三代」は天津神と皇室を繋ぐたいへん重要な箇所でありながら、実は古事記では山幸彦の物語として長く書いている側面がありながら、一方で、神代編の冒頭より始まった、この神の国の神話に関して、その最後の章でかなり慌てて集大成をしようという焦りが随所にみられます。
したがって、古事記素人の筆者ごときでは、到底まとまり切れず、自身でもかなり曖昧な論説を残しつつも、ここはひとまず閉じようと思いました。
そして今後は、一方で古事記中巻を進めつつ、上巻(神代編)に関しては、さまざまな大事なカテゴリー別に総括していくことにしていきたいと思います。
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