海幸山幸神話の真実(4)

なんと....


この解説を何回かに分けて書いているのでした。

その間に「淡路国生み参拝」の紀行文を7回入れてしまいました。


しかし...

これはとっても筆者個人の中では必然な流れだったのです。

なので、それを書き続け、実は、この「海幸山幸神話」でやはりどうしても解明できなかった点が明確にこの参拝紀行中に体験できたのです。


それは、沼島の「山ノ大神社」での出来事です。




なぜ、あそこに辿り着けたのか??



それは、今、この神話ライフワークに於いて、かなり大きな壁に躓いていて、それを乗り越える大きなヒントになったからです。

なぜ、火遠理命さま(山幸彦)さまはわざわざ海の神の宮まで行かれたのか??

そのことを解明できたのが、あの淡路の沼島での体験でした。

つまり、中断して訳でも、ほったらかした訳でもなく、前に進めなかったのを繋いでくれた。


そう、淡路行きはまさに必然だったのです。


ありがとうございました。



ということで、1か月ぶりですが、「海幸山幸神話の真実」に戻ります。

(前回はこちらに「海幸山幸神話の真実(3)」)




〇兄の服従

前回も少し触れましたが、神話では長子ではなく末子が後継になっているケースが多いのですが、実は、この兄弟の場合はちょっと事情が違っていて、要は「服従」させてしまっています。

これはどういうことなのでしょうか??


原文

是以備如海神之教言 與其鉤 故 自爾以後 稍愈貧 更起荒心迫來 將攻之時 出鹽盈珠而令溺 其愁請者 出鹽乾珠而救 如此令惚苦之時 稽首白 僕者自今以後 爲汝命之晝夜守護人而仕奉 故至今 其溺時之種種之態 不絶仕奉也


現代語訳

こういうわけでホヲリは海神が教えたとおりにその釣り針をお返しになった。

そこでそれから後、兄はだんだん貧しくなり、さらに荒々しい心を起こして攻めてきた。

攻めてきたときは塩盈珠を出して溺れさせ、助けを乞うてきたならば塩乾珠を出して救い、

こうして悩まし苦しめたときに、兄は頭を下げて

「わたしはいまより後は、あなたの昼夜の守護人となってお仕えしましょう」と言った。

そこでいまに至るまでホデリの子孫の隼人は、その溺れたときの様々な仕草を演じて天皇にお仕えしているのである。



隼人(はやと)のことを指しています。

隼人は古代日本において、薩摩、大隅、日向に居住した人々のことをいいます。

「ハヤブサのような人」の形容とも言われており、方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも言われていますが、あくまで隼人は大和側の呼称です。


古事記ではその隼人の祖神である、阿多君がホデリ(海幸)だと言ってます。

海幸彦が山幸彦に仕返しされて苦しむ姿を真似たのが隼人舞であるといってます。


そして隼人が、古くから畿内に移住させられ、宮中で守護に当たるほか、芸能、相撲、竹細工などを行うようになり、特に山城国南部に多く定住して、天皇家を守る立場になりました。律令制下においては、隼人司(衛門府、後に兵部省)が、これらを司るまでに体系化しましたが、その最初はこの山幸により海幸を支配したことだと言っています。


これに連なっているかどうかはもう少し色々な文献を調べてみないとわかりませんが、日本各地に多くみられるのが、山の神さまが漁民に慕われ、祀られているという事実です。

わたくしが淡路沼島で遭遇したのは、山の神への参拝中に船の汽笛を聴いたことです。

神語を唱えて帰ってきたのが、汽笛でした。


記紀は、天武天皇が日本の正史を整理するために編纂を命じましたが、正史である日本書紀に比べ、古事記は「正史に基づいたフィクション」です。


末子の継承の正統性は、ホオリさまのように、山と海を制覇できる能力と、その神力を携えたものであるが、それは、その後もずっと継承していかないと、という危機感が、隼人を司るホデリさまを服従させたという事実が、神代編の最後にどうしても必要だったのでしょう。


そういう意味からすると、これは、大国主命が兄たちの八十神を退治したり、アマテラスさまとスサノオさまとの誓約、あるいは、このあとに出てくる、神武天皇の話とは異質の、たいへん大事な箇所であるということがわかります。



山幸海幸の神話は大変重要な意味をたくさん含んでいるのです。








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