淡路国生み参拝(番外編)


幼稚園からクリスチャン(幼児洗礼も堅信礼も受けてはおりませんが...)教育を受けていたわたくしは、物心ついたときには母の「旧約聖書」絵本を毎夜聴くのが楽しみでした。


母の母方の伯父には教会長もいらして、よく電話で基督教に基づいたこどもなりの学びかたを教えてくださいました。


近年、古事記に再会してやはり思ったことは、伊邪那岐さま伊邪那美さまが出て来られるまでは、なんとまぁ、つまらない(いや、それ以前に全く内容がない)と思いました。

古事記はエロチックな箇所もたくさんある割には、そのあたりの創造性に著しく欠けています。


無論、太安万侶の創造性が乏しかったとは全く思いません。


日本は、民俗的に独創性を好まない、また、あまり突出はしたくない。

だから、基本的にそうではない性格は、多分、生粋ではないのかもしれませんね。


但し、それは稲作がはじまり農耕共同生活が開始してあとの話で。

まぁ、古事記自体がそれ以前の書物や風土記を参考にしているとはいえ、そもそもが農耕民族時代に書かれたものでしょうから。


ところが、その今回の淡路でぼんやりと掴めたことが、さきほど、ある投稿を読んでいて繋がったのです。


そうなのです。


ここは失われた箇所なんです。


そして、わたくしがその失われた箇所を修復することに決めました。

いいえ、これは選ばれたんです。


そして、本当に必然な流れでした。

いま、わたくしの頭の中はぐるぐるです。四つの台風が日本近海に並んでいる天気図のようです(相変わらず、例えに愛情がなくて申し訳ありません)。


今後を乞うご期待ください。


さてさて、淡路の国生み参拝(古事記では産みですが、あえて生みを使わせていただきました。理由がわかるかたはすごいかたです...)は感動と驚嘆、そして最後は愛に溢れ、前述したようにそれは、新たな創造へと繋がりました。


そして、なんと、次に行くところも決まりました。


でも、残念ながら筆者は三流で零細ですが経営者(当社が、ではなく経営者として...という意味です)でもありますので、この次のところにいつ行かれるかはわかりません。

しかし、確証を掴み、証明しなければならないので、単発で何度か通うことになっても行かなくてはいけないでしょう。


大阪以西に日帰りだってありかも。

そうしないと、次代を担う方々に継承できませんので....

折角、真実が分かりかけてきているのに...


いや、この話はもうよくて....(きょうは... またこの特集だけやります)


実はERIさんもちょっと書かれているのですが、すごいことがありました。


それは....



狛犬にあえました。

なま狛犬です。


不思議でした。


山田祥平さんが運転(つか操縦に近いかも、良い意味で...)するERIさんのクルマのナビが、突然、行程を変えたのです。

えーー、っと、普通ならナビの不具合だろって済ませますが、ところが、このツアーの面子は全員みな


「意味がある!」


ってひとたち。


そして、どうもここではと思った場所に、なんと立派な神社が....


淡路を知り尽くされている山田祥平さんですら、なんでしょうねこのお社は?? というところでした。

しかも、丁度狛犬の話をしていた直後!



そしてこの狛犬が、我々を誘導するではありませんか。



そこは....

拝殿の裏庭にあたるところ。


いや、表からは絶対に分からないところですし、狛犬の誘導がなければ、こんなところまでは入ってきませんでした。


そしてそこには、

向かって右側に

国津神の摂社


本殿の前を越えて、向かって左側に

天津神の摂社

これは驚きました。


ちょっと、詳しく申しますと、この日のツアーの主催者ERIさん、スペシャル案内人の山田祥平さん、そして風水コーディネーターの千里さん、それぞれの思いと課題をお持ちでしたが、それが、かなり明確に分かった瞬間でした。


わたくしはERIさんの事前ヒーリングにおいて、国津神に心を結ぶようにと...

なので、それを明確に示されたということでした。


しかも、狛犬さまに誘導されて。

あ、でもあの狛犬はどこへ??


なななんんと、もとのお姿におもどりになられてました...


改めて拝殿で、山田さんが祝詞を上げられ、ERIさんは神さまからのメッセージを取り次いでいただきました。


こちらは、広石八幡神社というところでした。




あとで調べましたらだんじりで有名なところらしいのですが、それ以上のことはわかりませんでした。

所謂、氏神さまであることは間違いありません。


今回の行程の予定にはありませんでしたが、淡路の土地の神様が、わたくしたちを呼び止め、誘導してくださいました。

ありがとうございました。


なんと、7回にわたってお届けいたしました、「淡路国生み参拝」でしたが、これでツアーのご紹介は終わります。


しかし、このツアーでわかったこと、また新しい発見と課題、さらにはこの記事を書いている間に、筆者の周辺も大きな変化がありました。


自らのやるべきこと、それからひとに託すこと、それがすべて繋がっていること、それらがすべて明確になりました。



思えば、7月はそういう月だったのです。


そして、6月末に淡路で、それはすべて予言され、このように提示されておりました。


あとは、これを顕現していくだけです。



そして、このブログも、そういう観点を踏まえて、色々軌道修正や書き直しをしていくと思います。



すべての環境に感謝いたします。





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